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「太平記」菊池大友軍の事(その3)

これまでもなほ探題・小弐せうに大友おほとも松浦まつら宗像むなかたが勢は七千余騎ありけるが、菊池に気を呑まれて、掛け合ひの合戦敵ふまじとや思ひけん、探題と大友とは、豊後の高崎のじやうに引き籠り、大宰だざい小弐せうには、をかの城に立て籠り、大宮司は宗像むなかたの城に籠つて、険阻けんそを命に頼みければ、菊池は豊後の府内に陣を取り、三方さんぱうの敵を物ともせず、三つの城の中を押し隔て、今年はすでに三年まで、遠攻とほぜめにこそしたりけれ。そもそも小弐・大友は大勢にて城に籠り、菊池は小勢にてこれを囲む。菊池が城必ずしも皆剛なるべからず、小弐・大友が勢必ずしも皆臆病なるべきにあらず。ただ士卒の剛臆がうおくは大将の心によるゆゑに、九国は加様かやうに成りにけるなり。




これまでも九州探題(斯波しば氏経うぢつね)・小弐(少弐頼尚よりひさ)・大友(大友氏時うぢとき)・松浦党([松浦地方に割拠し、九州北西部に勢力をもった武士団])・宗像(宗像氏経うぢつね?)の勢は七千騎余りありましたが、菊池(菊池武光たけみつ)に気をのまれて、駆け合い([双方が正面から攻め合うこと])の合戦では敵うまいと思ったのか、九州探題(斯波氏経)と大友(大友氏時)は、豊後の高崎城(現大分県大分市の高崎山にあった山城)に引き籠り、大宰小弐(少弐頼尚よりひさ)は、岡城(現大分県竹田市にあった山城)に立て籠り、大宮司(宗像氏経)は宗像城(現福岡県宗像市にあった山城)に籠って、険阻([地勢の険しい様])を頼みにしたので、菊池(武光)は豊後の府内(現大分県大分市らしい)に陣を取り、三方の敵を物ともせず、三つの城の中を割って、今年ですでに三年の間、遠攻め([遠くから囲んで軍勢が攻め寄ること])しました。小弐(貞経)・大友(氏時)は大勢で城に籠り、菊池(武光)は小勢でこれを囲むことになりました。菊池(武光)の城は必ずしも皆堅固ではありませんでしたし、小弐(貞経)・大友(氏時)の勢が必ずしも皆臆病者ではなかったために双方決め手がなかったのです。ただ士卒([軍兵])の剛臆は大将の心により決まるものでしたので、九国([九州])はこのような情勢となったのでした。


続く


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by santalab | 2016-02-07 17:02 | 太平記 | Comments(0)

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