Santa Lab's Blog


「太平記」畠山兄弟修禅寺城楯篭事付遊佐入道事(その1)

筑後には宮方蜂起すといへども、東国はほどなく静まりぬ。去年より畠山入道にふだう道誓だうせい・舎弟尾張をはりかみ義深よしふか伊豆いづ修禅寺しゆぜんじに立て籠もつて東八箇国の勢と戦ひけるが、兵粮ひやうらう尽きて落ち方もなかりければ、皆城中じやうちゆうにて討ち死にせんとす。左馬のかみ殿より使者を以つて、先非せんぴを悔いて子孫を思はば、首を延べて降参するべき由仰されけるを、まことぞと信じて道誓は禅僧になり、舎弟尾張の守は、伊豆の国の守護職還補くわんぷ御教書みげうしよを給ひて、九月十日降参したりけるが、道誓は伊豆の国府こふに居て、先づ舎弟尾張の守を、鎌倉左馬の頭のおはする箱根の陣へぞ参らせける。旧好きうかうある人、万死を出でて再び見参に入る事の嬉しさよなど言ひて一献を勧め、このほど情けなくあたりつる傍輩はうばいは、いつしか媚びをへつらうて、言葉を卑しくし礼を厚くして、しきりに追従をしける間、門前に鞍置き馬の立ち止む隙もなく、座上に酒肴さけさかなを置き連ねぬ時もなかりけり。




筑後では宮方(南朝)の兵が蜂起しましたが、東国はほどなくして静まりました。去年より畠山入道道誓(畠山国清くにきよ)・その弟尾張守義深(畠山義深)は、伊豆国の修禅寺(現静岡県伊豆市にある寺)に立て籠もって東八箇国の勢と戦っていましたが、兵糧が尽きて落ち行くところもありませんでしたので、皆城中(修禅寺城)で討ち死にしようとしていました。左馬頭殿(足利基氏もとうぢ。足利尊氏の四男)より使者をもって、先非([過去の過ち])を悔いて子孫のことを思うのであれば、首を差し伸べて洪さんするように申したので、その言葉を信じて道誓は禅僧となり、弟の尾張守(義深)は、伊豆国の守護職還補([ふたたび職に任ずること])の御教書([将軍の命を奉じてその部下が出した文書])によって、九月十日に降参しました、道誓を伊豆国府(現静岡県三島市にあったらしい)に置いて、まず弟の尾張守(義深)を、鎌倉左馬頭(足利基氏)のいる箱根の陣に参らせました。義深に旧好のある者は、万死を逃れて再び再会できたことがうれしいなどと言って一献(酒)を勧め、無情に接していた傍輩([同じ主人に仕えたり、同じ先生についたりしている仲間])は、いつしか媚を売るようになって、言葉をへりくだって礼を厚くして、しきりに付き従うようになりました、門前には鞍置き馬の立たない隙もなく、義深の座上に酒肴が並ばない時はありませんでした。


続く


[PR]
by santalab | 2016-02-07 17:07 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」畠山兄弟修禅寺城楯篭...      「太平記」菊池大友軍の事(その3) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
すみません、日本語の起源..
by 春日 at 21:17
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧