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「太平記」畠山兄弟修禅寺城楯篭事付遊佐入道事(その2)

かくて三四日経て後、九月十八日の夜、稲生いなふ平次密かに来たつて道誓だうせいに囁きけるは、「降参御免の事は、元来出だし抜かれし事に候へば、明日討つ手を向かはすべしにて候ふなる。げにも聞くに合はせて、豊島としま因幡のかみにはかに陣を取り替へて、道を差し塞ぐていに見へて候ふ。今夜急ぎいづくへも落ちさせ給ふべし」とぞ告げたりける。道誓聞きも敢へず、舎弟式部の大輔たいふにきつと目配せしけるが、仮初めに出でる由にて、中間ちうげん一人に太刀持たせ、兄弟二人ににん徒歩かちにて、その夜先づ藤沢の道場までぞ落ちたりける。上人甲斐甲斐しく馬二疋、時衆じしゆう二人相添へて、夜昼のさかひもなく、馬に鞭を進めて上洛しやうらくしけるをば、知る人さらにもなかりけり。舎弟尾張をはりかみ義深よしふかは、箱根の御陣にありけるが、次の夜ある時衆のかかる事と告げけるに驚いて、さては我もいづくへか落ちなましと案ずれども、東西南北皆道塞がりて落つべき方もなかりければ、結城ゆふき中務なかつかさ大輔たいふが陣屋に来たつて、ひらに頼むべき由をぞのたまひける。これを隠さんずる事は、至極の難義なれども、弓矢取る身の習ひ、人に頼まれて叶はじ言ふ事やあるべきと思ひければ、長唐櫃からひつの底に穴を開けて気を出し、その櫃の中に臥させて、数十合掻き連ねたるよろひ唐櫃の跡に立て、わざと鎌倉殿の御馬おんむま廻りに供奉ぐぶして、尾張の守を夜べに紛れて、藤沢の道場へぞ送りける。




こうして三四日経た、九月十八日の夜に、稲生平次が密かに訪ねて道誓(畠山国清くにきよ)にささやくには、「降参を赦されることは、元より欺くためのものでございます、明日討つ手を向かわせるとのことです。わたしが聞く通り、豊島因幡守が陣を移して、道を塞いでいるように見えます。今夜のうちに急ぎどちらへでも落ちて行かれなさい」と告げました。道誓は聞き終わらないうちに、弟である式部大輔に目配せして、ふらり出る様子で、中間([雑用を行う武家奉公人])一人に太刀を持たせ、兄弟二人徒歩で、その夜はまず藤沢道場(現神奈川県藤沢市にある清浄光寺)まで逃げました。上人(遊行上人。藤沢道場=遊行寺の住職)は望み通り馬二匹、時衆([時宗の僧俗])二人を着けて、夜昼分かず、馬に鞭打って上洛しましたが、これを知る者は誰もいませんでした。道誓の弟尾張守義深(畠山義深)は箱根の陣にいましたが、次の夜ある時衆がこのことを告げたので驚いて、己もどこにか落ちようと思いましたが、東西南北は皆道を塞がれて逃げるところもなかったので、結城中務大輔(結城直光なほみつ)の陣屋を訪ねて、丁重に頼みました。結城(直光)は義深を逃がすことは、この上ない難儀でしたが、弓矢取る武士の身であれば、人に頼まれて断ることはできないと思って、長唐櫃の底に穴を開けて空気を通し、義深をその櫃の中に寝かせて、数十合並べ連ねた鎧を唐櫃に入れて、わざと鎌倉殿(足利基氏よしうぢ)の馬のまじかで供をして、尾張守(畠山義深)を夜に紛れて、藤沢道場に送り届けました。


続く


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by santalab | 2016-02-07 17:13 | 太平記 | Comments(0)

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