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「太平記」畠山兄弟修禅寺城楯篭事付遊佐入道事(その4)

畠山入道にふだう兄弟、甲斐なき命助りて、七条の道場へ夜半ばかりに落ち着きたりけるを、聖二三日いたはり奉て、道の案内者少々相添へて、行路のたすけなど様々に用意して南方へぞ送られける。道誓だうせいしばらく宇智うちこほりの在家に立ち寄つて、「楠木が方へ降参の綸旨りんしを申してび候へ」と、のたまひ遣はされたりけれども、楠木さしも許容の分なかりければ、宇智の郡にも隠れ得ず都へ立ち帰るべき方もなし、南都山城脇辺わきへんに、とある禅院律院、あるひは山賎やまがつしばいほしづ伏屋ふせやの寂しきに、たもとの露を片敷きて、夜を重ぬべき宿もなく、道路に袖を広げぬばかりにて、朝三暮四てうさんぼしの援けに心ある人もがなと、身を苦しめたる有様、聞くに耳すさまじく、見るに目も当てられず。幾程もなく、兄弟ともにはかなくなりけるこそ哀れなれ。人間の栄耀えいえうは風の前の塵と白居易はくきよいが作り、富貴ふつき草頭さうとうの露と杜甫とほが作りしもことわりかな。




畠山入道兄弟(畠山国清くにきよとその弟式部大輔)は、生きる甲斐なき命を助って、七条道場(現京都市下京区にある金光寺。豊臣秀吉によって現在の地に移された)に夜半ばかりに落ち着いたので、聖は二三日世話をして、道の案内者を少々付けて、行路に必要となる品々を様々用意して南方に送り出しました。道誓(畠山国清)はしばらく宇智郡(現奈良県五條市)の在家に立ち寄って、「楠木(楠木正儀まさのり)が方(南朝)に降参すべき綸旨([天子などの命令])を賜りたい」と、使いを遣わしましたが、楠木(正儀)は許す気はありませんでしたので、宇智郡に隠れることもできず都へ帰ることもなりませんでした、南都山城の近くの、とある禅院([禅宗の寺院])律院([律宗の寺院])、または山賎([きこり])の柴の庵([粗末な小屋])、賎([身分の賎しい者])の伏屋([みすぼらしい家])の粗末な所に、袂の露を片敷いて、夜を重ねる宿もなく、道に袖げるような有様で、朝三暮四の授け(目先の施し)の心を持つ者はいないかと、身を賎しくして、聞くに耳を疑うほど、見るに目も当てられない様でした。幾程もなく、兄弟ともにはかなく亡くなりましたが哀れなことでした。人間の栄耀([大いに栄えて、はぶりのよいこと])は風の前の塵のようなものだと白居易が作り、富貴は草の上の露だと杜甫が作ったのも道理でした。


続く


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by santalab | 2016-02-07 20:47 | 太平記 | Comments(0)

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