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「太平記」畠山兄弟修禅寺城楯篭事付遊佐入道事(その5)

この人々去々年の春は、三十万騎が大将として、南方へ発向したりしかば、徳風遠くあふいで、靡かぬ草木もなかりしに、いつしか三年を過ぎず、たちまち生き恥を晒して、敵陣の堺にさまよひぬる事、更に只事とは思えず。この人に出だし抜かれ討たれし新田左兵衛さひやうゑすけ義興よしおき怨霊をんりやうとなつて、吉野の御廟ごべうへ参りたりけるが、「畠山をば義興が手に懸けて、生きながら軍門に恥を晒さすべし」と奏し申しける由、先立ちて人の夢に見て、天下に披露ありしも誤りにてはなかりけりと、今こそ思ひ知られたり。




この者たち(畠山国清くにきよ)が去々年の春に、三十万騎の大将として、南方に発向した時には、徳風([人徳])が遠くにまで及び、靡かない草木もありませんでしたが、いつしか三年を過ぎないうちに、たちまち生き恥を晒しならが、敵陣(南朝)の境にさまようことになろうとは、まったくただごととは思えませんでした。畠山国清に謀られた新田左兵衛佐義興(新田義興)は怨霊となって、吉野の御廟(第九十六代後醍醐天皇の霊廟。現奈良県吉野郡吉野町吉野山の如意輪寺内にある塔尾陵たふのをのみささぎ)に参り、「畠山(国清)をわたし義興の手にかけて、軍門(獄門)に生き恥を晒してくださいませ」と奏し申したと、これに先立ち人は夢に見て、天下に知られるところとなったのも偽りではなかったと、今こそ思い知らされるのでした。


続く


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by santalab | 2016-02-07 21:05 | 太平記 | Comments(0)

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