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「太平記」細川相摸守討死事付西長尾軍事(その1)

讃岐には細川相摸のかみ清氏きようぢと細川右馬の頭頼之よりゆきと、数月すげつ戦ひけるが、清氏つひに討たれて、四国事故なく静まりにけり。その軍の様を伝へ聞くに、相摸の守四国を打ちたひらげて、今一度都をかたぶけて、将軍を亡ぼし奉らんとくはたて、さかひの浦より船に乗て讃岐へ渡ると聞こへしかば、相摸の守が従兄弟の兵部ひやうぶ太輔たいふ淡路あはぢの国の勢を卒して、三百余騎にて馳せ着く。その弟掃部かもんの助、讃岐の国の勢を相催あひもよほして五百余騎にて馳せくははる。小笠原宮内くないの大輔、阿波あはの国の勢を率して、三百余騎にて馳せ着きける間、清氏の勢はなきほど五千余騎になりにけり。




讃岐では細川相摸守清氏(細川清氏)と細川右馬頭頼之(細川頼之)が数ヶ月に渡り戦っていましたが、清氏は遂に討たれて、四国は無事鎮まりました。その軍の様を伝え聞くところ、相摸守(清氏)が四国を打ち平らげて、今一度都を傾けて、将軍(室町幕府初代将軍、足利尊氏)を亡ぼそうと企て、堺の浦(現大阪府堺市)より船に乗って讃岐へ渡ると聞こえたので、相摸守の従兄弟の兵部太輔(細川氏春うぢはる?兵部少輔)が淡路国の勢を率して、三百余騎で馳せ加わりました。その弟掃部助(細川師氏もろうぢ。師氏は氏春の父)、讃岐国の勢を集めて五百余騎で馳せ加わりました。小笠原宮内大輔は、阿波国の勢を率して、三百余騎にて馳せ付いたので、清氏の勢はほどなく五千余騎になりました。


続く


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by santalab | 2016-02-07 21:11 | 太平記 | Comments(0)

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