Santa Lab's Blog


「太平記」亀寿殿令落信濃事付左近の大夫偽落奥州事(その5)

その後盛高もりたかこの若公わかぎみを具足して、信濃へ落ち下り、諏訪すははふりを憑んでありしが、建武元年の春の頃、暫く関東くわんとう劫略こふりやくして、天下の大軍を起こし、中前代なかせんだいの大将に、相摸二郎と云ふはこれなり。かうして四郎左近の大夫入道は、二心なき侍どもを呼び寄せて、「我は思ふやうあつて、奥州あうしうの方へ落ちて、再び天下をくつがへはかりごとを可回なり。南部の太郎・伊達の六郎二人ににんは、案内者なれば可召具。その外の人々は自害して屋形に火を懸け、我は腹を切つて焼け死にたるていを敵に可見」とのたまひければ、二十にじふ余人の侍ども、一義にも不及、「皆御定ごぢやうに可随」とぞまうしける。伊達・南部二人は、かたちをやつしになり、中間ちゆうげん二人に物の具着せて馬に乗せ、中黒の笠符かさじるしを付けさせ、四郎入道を箯輿あをだに乗せて、血の付いたるかたびらを上に引きおほひ、源氏のつはものの手負うて本国へ帰る真以をして、武蔵までぞ落ちたりける。




その後盛高(諏訪盛高)はこの若君(亀寿丸)を連れて、信濃へ落ち下り、諏訪の祝([神主・禰宜ねぎに従って祭祀を司る神職])に預けましたが、建武元年(1334)の春頃、しばらく関東を劫略([おびやかして奪い取ること])して、天下の大軍を起こし、中先代([建武二年(1335)七月から八月にかけて鎌倉に進攻・占拠した北条高時たかときの次子時行ときゆきを中心とする反乱勢力])の大将、相摸二郎(北条時行)というのはこの若君(亀寿丸)のことでした。その後四郎左近大夫入道(北条泰家やすいへ)は、二心ない侍どもを呼び寄せて、「我は思うところあって、奥州の方へ落ちて、再び天下を覆す謀を廻らせようと思う。南部太郎(南部義行よしゆき)・伊達六郎の二人は、案内者なれば連れて行く。その外の人々は自害して館に火を懸け、わしが腹を切て焼け死んだように敵に思わせよ」と申せば、二十余人の侍どもは、一義にも及ばず、「皆御定([命令])に従いまする」と申しました。伊達・南部(義行)の二人は、姿をやつし夫([匹夫]=[身分の低い男])姿となり、中間([侍の下位の者])二人に物の具([武具])を着せて馬に乗せ、中黒(引両紋。新田氏の家紋)の笠符を付けて、四郎入道(北条泰家)を([板の床に竹を編んだ縁を巡らせただけで、屋根のない粗末な駕籠。戦場で死傷者を運んだり、罪人の輸送に用いたりした])に乗せて、血の付いた帷([裏を付けない衣])を上に引き覆い、源氏の兵が手負い本国へ帰る振りをして、武蔵国まで落ちて行きました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-02-08 08:38 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」将軍都落事付薬師丸帰...      「太平記」細川相摸守討死事付西... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧