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「太平記」将軍都落事付薬師丸帰京事(その4)

この時熊野山の別当四郎法橋ほつけう道有だういうが、いまだに薬師丸とて童体どうたいにて御伴したりけるを、将軍呼び寄せ給ひて、忍びやかにのたまひけるは、「今度京都の合戦に、御方毎度打ち負けたる事、全く戦ひのとがにあらず。つらつら事の心を案ずるに、ただ尊氏ひたすら朝敵てうてきたるゆゑなり。されば如何にもして持明院殿ぢみやうゐんどの院宣ゐんぜんまうし賜はつて、天下を君与君の御争ひになして、合戦を致さばやと思ふなり。御辺は日野の中納言殿に所縁しええんありと聞き及べば、これより京都へかへり上つて、院宣を伺ひまうして見よかし」と仰されければ、薬師丸、「畏つてうけたまはり候ふ」とて、三草山よりいとままうして、すなはち京へぞ上りける。




この時熊野山の別当四郎法橋道有は、まだ薬師丸と申して童体([子供の姿])で伴をしていましたが、将軍(足利尊氏)は呼び寄せて、忍んで申すには、「今度の京都の合戦に、味方が毎度打ち負けたのは、まったくもって戦いに過失があったわけではない。よくよく原因を考えると、ただこの尊氏が朝敵であるからに他ならぬ。ならば如何にもして持明院殿(北朝初代、光厳院)の院宣を申し賜わって、天下を君に与えるの争いになして、合戦を致そうと思うておる。お前は日野中納言殿(柳原資明すけあきら?日野資朝すけともの弟)に所縁があると聞いておる、これより京都に帰り、院宣を下されるよう申せ」と命じたので、薬師丸は、「畏り承りました」と申して、三草山(現大阪府豊能郡能勢町と兵庫県川辺郡猪名川町の境にある山)より暇を申して、急ぎ京に上りました。


続く


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by santalab | 2016-02-08 19:27 | 太平記 | Comments(0)

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