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「太平記」新田殿湊河合戦事(その1)

楠木すでに討たれにければ、将軍と左馬のかみと一所に合つて、新田左中将さちゆうじやうに打つて懸かり給ふ。義貞よしさだこれを見て、「西宮より上がる敵は、旗のもんを見るに末々すゑずゑの朝敵てうてきどもなり。湊河より懸かる勢は尊氏たかうぢ直義ただよしと思ゆる。これこそ願ふ所の敵なれ」とて西宮より取つて返し、生田の森を後ろを当てて四万しまん余騎を三手に分けて、敵を三方さんぱうにぞ受けられける。去るほどに両陣互ひに勢を振るうて鬨を作り声を合はす。先づ一番に大館おほたち左馬の助氏明うぢあきら・江田兵部ひやうぶ大輔たいふ行義ゆきよし、三千余騎にて、仁木につき・細川が六万余騎に駆け合つて、火を散らして相戦ふ。その勢互ひに討たれて、両方へさつと引き退けば、二番に中院なかのゐん中将ちゆうじやう定平さだひら大江田おいだ・里見・鳥山五千余騎にて、高・上杉が八万騎に駆け合つて、半時ばかり黒煙を立てて揉み合ひたり。その勢ども戦ひ疲れて両方へさつと引き退けば、三番に脇屋右衛門うゑもんすけ・宇都宮治部ぢぶの大輔・菊池次郎・河野かうの・土居・得能とくのう一万騎いちまんぎにて、左馬のかみ吉良きら・石堂が十万じふまん余騎に駆け合はせ、天を響かし地を動かして攻め戦ふ。




楠木(楠木正成)が討たれると、将軍(足利尊氏)と左馬頭(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)は一所になって、新田左中将(新田義貞)に打って懸かりました。義貞はこれを見て、「西宮(現兵庫県西宮市)より上がる敵は、旗の紋を見るに末々の朝敵どもよ。湊川(現兵庫県神戸市中央区)より懸かる勢は尊氏・直義と思うぞ。これこそ願う敵である」と申して西宮より取って返し、生田の森(現兵庫県神戸市中央区)を後ろを当てて四万余騎を三手に分けて、敵を三方に受けました。やがて両陣互いに威勢を上げ鬨を作り声を合わせました。まず一番に大館左馬助氏明(大館氏明)・江田兵部大輔行義(江田行義)が、三千余騎で、仁木(仁木頼章よりあき義長よしなが)・細川(細川定禅じようぜん)は)の六万余騎と駆け合って、火を散らして戦いました。その勢互いに討たれて、両方へさっと引き退けば、二番に中院中将定平(中院定平)・大江田(大井田氏経うぢつね)・里見・鳥山が五千余騎で、高(高師直もろなほ師泰もろやす)・上杉(上杉重能しげよし)の八万騎に駆け合って、半時ばかり黒煙を立てて揉み合いました。その勢どもが戦い疲れて両方へさっと引き退けば、三番に脇屋右衛門佐(脇屋義助よしすけ。新田義貞の弟。左衛門佐)・宇都宮治部大輔(宇都宮公綱きんつな)・菊池次郎(菊池武重たけしげ)・河野・土居・得能一万騎で、左馬頭(足利直義)・吉良(吉良貞家さだいへ?)・石堂(石塔義房よしふさ?)の十万余騎に駆け合わせ、天を響かし地を動かして攻め戦いました。


続く


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by santalab | 2016-02-09 21:11 | 太平記 | Comments(0)

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