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「太平記」細川相摸守討死事付西長尾軍事(その6)

この城元より鳥も飛び難きほどにこしらへたれば、寄せ手たとひいかなる大勢なりとも、十日二十日が中には、容易く攻め落とすべき城ならず。その上新開しんかい、西長尾より引つ帰しぬと見へば、左馬の助・掃部かもんの助やがて馳せ帰つて、寄せ手を追ひ掃はん事、かへつて城方の利になるべかりけるを、相摸のかみはいつも己が武勇ぶようの人に超えたるを頼みて、軍立いくさだて余りに大早おほはやりなる人なりければ、寄せ手の旗の手を見ると等しく、二の木戸を開かせ、小具足をだにも固めず、あはせの小袖引きせたをりて、鎧ばかりを取つて肩に投げ懸けて、馬上にて上帯うはおび縮めて、ただ一騎駆け出で給へば、相従ふ兵三十余騎も、あるひは頬当ほうあてをしていまだ兜をも着ず、あるひは篭手こてを差していまだ鎧を着ず、真つ先に包み連れたる敵千余騎が中へ割つて入る。あはれ剛の者やとは見ながら、片皮破かたかはやぶりの猪武者ゐのししむしやをこがましくぞ見へたりける。げにも相摸の守敵を物とも思はざりけるもことはりかな。寄せ手千余騎のつはものども、相摸の守一騎に駆け分けられて、魚鱗ぎよりんにも進めず鶴翼くわくよくにも囲み得ず、この塚の上かしこの岡に打ち上りて、馬人ともに辟易せり。




西長尾城(現香川県丸亀市綾歌町)は鳥も飛び難いほど険しいところにあったので、寄せ手がたとえどれほど大勢であるとも、十日二十日の内には、容易く攻め落とせるような城ではありませんでした。その上新開(新開真行さねゆき)が、西長尾より引き返すのを見て、左馬助・掃部助がすぐに馳せ返り、寄せ手を追い払えば、かえって城方の利になるはずでしたが、相摸守(細川清氏きようぢ)はいつも己の武勇が人に超えているのを頼みにして、軍立てがあまりにも拙速に過ぎる人でしたので、寄せ手の旗の手を見るやいなや、二の木戸を開かせ、小具足さえ固めず、袷の小袖を引っかけると、鎧ばかりを取って肩に投げ懸け、馬上で上帯([鎧・腹巻・胴丸の類の胴先につける帯])を締めて、ただ一騎駆け出ました、従う兵三十余騎も、ある者は頬当て([あごから頬にかけて当てる防具])をして兜もかぶらず、ある者は篭手を差して鎧を着ず、真っ先に進んだ敵千余騎の中へ割って入りました。剛の者とは思えながらも、型破りの猪武者([向こうみずに敵中に突進する武士])と、あまりに愚かなように思えました。相摸守(清氏)が敵を物とも思わないのももっともなことに思われました。寄せ手千余騎の兵どもは、相摸守一騎に駆け分けられて、魚鱗にも進めず鶴翼にも囲み得ず、この塚の上かしこの丘に打ち上り、馬人ともに辟易([相手の勢いに圧倒されてしりごみすること])しました。


続く


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by santalab | 2016-02-11 08:38 | 太平記 | Comments(0)

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