Santa Lab's Blog


「太平記」細川相摸守討死事付西長尾軍事(その8)

伊賀掃部の助高光たかみつは駆け合はする敵二騎斬つて落とし、鎧に余る血を笠符かさじるしにて押しのごひ、「いづくにか相摸殿のをはすらん」と東西に目を配るところ、真壁孫四郎まごしらうちうに提げながら、その馬に乗らんとする敵あり。「あなおびたたし。凡夫とは見えず、これはいかさま相摸殿にてぞをはすらん。これこそ願ふところの幸よ」と思ひければ、伊賀掃部の助畠を筋違すぢかひに馬を真黒まつくろに馳せ駆けて、むずと組んで引きかづく。相摸の守真壁をば、右の手に掻い掴んで投げ棄て、掃部の助を射向けの袖の下に押さへて首を掻かんと、上帯うはおび延びて後ろに回れる腰の刀を引き回されけるところに、掃部の助心早き者なりければ、組むと等しく抜いたりける刀にて相摸の守の鎧の草摺くさずり跳ね上げ、上げ様に三刀刺す。刺されて弱れば刎ね返して、押さへて首をぞ取つたりける。さしもの猛将まうしやう勇士なりしかども、運尽きて討たるるを知る人さらになかりしかば、続いて助くる兵もなし。森次郎左衛門じらうざゑもんと鈴木孫七郎行長ゆきながと、討ち死にをしける外は、一所にて討ち死にする御方もなし。その身は深田の泥の土にまみれて、首は敵の切つ先にあり。ただ元暦げんりやくの古、木曽義仲が粟津あはづの原に討たれ、暦応二年の秋の初め、新田左中将さちゆうじや義貞よしさだ足羽あすは縄手なはてにて討たれたりし二人ににんていに異ならず。




伊賀掃部助高光(伊賀高光)は駆け合わせた敵二騎を斬って落とし、鎧に余る血を笠符で押し拭い、「どこに相摸殿(細川清氏きようぢ)はおられるぞ」と東西に目を配っていましたが、真壁孫四郎を宙に差し上げて、その馬に乗ろうとしている敵がいました。「なんという馬鹿力ぞ。凡夫とも見えず、これはきっと相摸殿であろう。これこそ願うところの幸よ」と思い、伊賀掃部助(高光)は畑を横切って畠を馬を真黒にしながら馳せ駆けて、むずと組んで引き寄せました。相摸守(清氏)は真壁を、右手で掴むと投げ捨て、掃部助を射向け([左])の袖の下に押さえて首を掻こうと、上帯([鎧・腹巻・胴丸の類の胴先につける帯])が緩んで背中に回った腰刀を引き寄せるところに、掃部助は機転が利く者でしたので、組むやいな抜いた刀で相摸守(清氏)の鎧の草摺([鎧の衡胴かぶきどうから垂らし、下腹部・大腿部を保護するもの])を跳ね上げ、上げ様に三刀刺しました。清氏が刺されて弱ると刎ね返し、押さえて首を捕りました。並々ならぬ猛将勇士でしたが、運は尽きて討たれたと知る人はいませんでしたので、続いて助けようとする兵はありませんでした。森次郎左衛門と鈴木孫七郎行長が、討ち死にしたほかは、一所にて討ち死にした味方もいませんでした。その身は深田の泥の土にまみれて、首は敵の切っ先にありました。ただ元暦の昔、木曽義仲が粟津の松原(現滋賀県大津市)で討たれ、暦応二年(1339)の秋の初め、新田左中将義貞(新田義貞)が足羽縄手(燈明寺畷。現福井県福井市)で討たれたその二人の最期と同じでした。


続く


[PR]
by santalab | 2016-02-11 18:46 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」細川相摸守討死事付西...      「太平記」細川相摸守討死事付西... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧