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「太平記」長崎高重最期合戦の事(その5)

高重たかしげ今はとても敵に被見知ぬる上はと思ひければ、馬を懸け据ゑ大音揚げて名乗りけるは、「桓武くわんむ第五の皇子葛原かつらはら親王しんわうに三代のそん、平の将軍貞盛さだもりより十三代さきの相摸のかみ高時たかとき管領くわんれいに、長崎入道円喜ゑんきが嫡孫、次郎高重、武恩を報ぜんため討死するぞ、高名かうみやうせんと思はん者は、寄れや組まん」と云ふままに、鎧の袖引き千切り、草摺くさずり数多あまた切り落とし、太刀をも鞘にをさめつつ、左右の大手をひろげては、ここに馳せ合ひかしこに馳せ違ひ、大童おほわらはに成つて駆け散らしける。懸かるところに、郎等らうどうども馬の前に馳せ塞がつて、「いかなる事にて候ふぞ。御一所こそ加様かやうに馳せまはりましませ。敵は大勢にて早や谷々やつやつに乱れ入り、火を懸け物を乱妨らんばうし候ふ。急ぎ御かへさふらうて、守殿かうのとのの御自害をも勤め申させ給へ」と云ひければ、高重郎等らうどうに向かつてのたまひけるは、「余りに人の逃ぐるが面白さに、大殿おほとのに約束しつる事をも忘れぬるぞや。いざさらば帰りまゐらん」とて、主従八騎の者ども、山の内より引き帰しければ、逃げて行くとや思ひけん、児玉党こだまたう五百余騎、「きたなし返せ」と罵つて、馬を争うて追つ懸けたり。




高重(長崎高重)は敵に知られた上はと思い、馬を止めると大声上げて名乗るには、「桓武天皇(第五十代天皇)の第五皇子葛原親王(第三皇子)の三代の孫、平将軍貞盛(平貞盛)より十三代前相摸守高時(北条高時。鎌倉幕府第十四代執権)の管領、長崎入道円喜(長崎円喜)の嫡孫、次郎高重、武恩を報ぜんため討死するぞ、高名しようと思う者は、寄れや組んでやろう」と言うままに、鎧の袖引き千切り、草摺([甲冑の胴の裾に垂れ、下半身を防御する部分])を切り落とし、太刀も鞘に収めて、左右の両手を大きく広げて、ここに馳せ合いかしこに馳せ違い、大童([なりふりかまわず、夢中になってする様])になって敵を駆け散らしました。そこへ、郎等([家来])どもが馬の前に馳せ塞がって、「どういうことでございます。ここという時にこそ馳せ廻られるべきでございます。敵は大勢ですでに谷々に乱れ入り、火を懸け物を乱妨([暴力により他人の物などを強奪すること])しております。急ぎ帰られて、守殿(北条高時たかとき。鎌倉幕府第十四代執権)の自害を勧め申し上げますよう」と言うと、高重(長崎高重)は郎等に向かって申すには、「人が逃げるのがあまりに面白くて、大殿(北条高時)と約束したことを忘れておった。ならば帰ろう」と申して、主従八騎の者どもが、山の内より引き返せば、逃げて行くと思ったのか、児玉党([武蔵国で割拠した武士団の一])五百余騎は、「卑怯ぞ返せ」と罵って、馬を争って追い駆けました。


続く


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by santalab | 2016-02-14 09:42 | 太平記 | Comments(0)

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