Santa Lab's Blog


「太平記」長崎高重最期合戦の事(その6)

高重たかしげ、「事々しの奴ばらや、何程の事をか仕出だすべき」とて、聞かぬ由にて打ちけるを、手茂く追うて懸かりしかば、主従八騎きつ見帰みかへつて馬のくつばみを引きまはすとぞ見へし。山の内より葛西の谷口まで十七度まで返し合はせて、五百余騎を追ひ退け、また閑々しづしづとぞ打つて行きける。高重が鎧に立つところの矢二十三筋にじふさんすぢ蓑毛みのけの如くり懸けて、葛西のやつへ参りければ、祖父おほぢの入道待ち請けて、「何とて今まで遅かりつるぞ。今はこれまでか」と問はれければ、高重畏り、「もし大将義貞に寄せ合はせば、組んで勝負をせばやと存じさふらうて、二十にじふ余度まで懸け入り候へども、遂に不近付得。その人と思しき敵にも見合ひ候はで、そぞろなる党の奴ばら四五百人切り落としてぞ捨て候ひつらん。あはれ罪の事だに思ひ候はずは、なほも奴ばらを浜面はまおもてへ追ひ出だして、弓手ゆんで馬手めて相付あひつけ、車切り・胴切り・縦割りに仕り棄てたく存じ候ひつれども、うへの御事いかがと御心許なくてかへまゐつて候ふ」と、聞くも涼しく語るにぞ、最期に近き人々も、少し心を慰めける。




高重(長崎高重)は、「しつこい奴らよ、つまらぬことを申すな」と申して、聞かぬ体で馬を進めましたが、大勢で追いかけて来たので、主従八騎は振り返り馬の轡を引き回しました。山の内より葛西の谷口まで十七度まで返し合わせて、五百余騎を追い退け、またゆっくりと馬を歩ませました。高重の鎧に立つ矢二十三筋を、まるで蓑毛のように折り懸けて、葛西の谷に参ると、祖父の入道(長崎円喜ゑんき)は高重を待って、「どうして帰りが遅かったのだ。軍はもう終わりか」と訊ねると、高重は畏り、「もし大将義貞(新田義貞)に近付くことあらば、組んで勝負をしようと、二十余度まで駆け入りましたが、遂に近付くことができませんでした。その人と思う敵にも合わず、どことも知れぬ党の奴ども四五百人切り落として捨てましたか。ああ罪さえ思わずば、さらに奴どもを浜面に追い出して、左手・右手成して、車切り([胴などを刀で横に切り払うこと。輪切り])・胴切り・縦割りに斬って棄てたいのは山々ですが、上(北条高時たかとき。鎌倉幕府第十四代執権)のことが心配で帰って参りました」と、聞くもすがすがしく話したので、最期目前にした人々も、少し心を慰めました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-02-15 07:30 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」高時並一門以下於東勝...      「太平記」長崎高重最期合戦の事... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧