さるほどに高重走り廻つて、「早や早や御自害候へ。高重先を仕つて、手本に見せ参らせ候はん」と云ふままに、胴ばかり残つたる鎧脱いで投げ捨てて、御前にありける盃を以つて、舎弟の新右衛門に酌を取らせ、三度傾けて、摂津の刑部の太夫入道道準が前に置き、「思ひざし申すぞ。これを肴にし給へ」とて左の小脇に刀を突き立てて、右の傍腹まで切目長く掻き破つて、中なる腸手繰り出だして道準が前にぞ伏したりける。道準盃を取つて、「あはれ肴や、いかなる下戸なりともこれを呑まぬ者あらじ」と戯れて、その盃を半分ばかり呑み残して、諏訪入道が前に差し置き、同じく腹切つて死にけり。諏訪入道直性、その盃を以つて心閑かに三度傾けて、相摸入道殿の前に差し置いて、「若者ども随分芸を尽くして被振舞候に年寄りなればとていかでか候ふべき、今より後は皆これを送肴に仕るべし」とて、腹十文字に掻き切つて、その刀を抜いて入道殿の前に差し置いたり。
そうこうするほどに高重(長崎高重)は走り来て、「早や早や自害なされませ。この高重が先に、手本を見せましょう」と言うままに、胴ばかり残った鎧を脱いで投げ捨てて、御前にあった盃を取り、弟の新右衛門に酌を取らせ、三度飲み干して、摂津刑部大夫入道道準の前に置き、「心ざしに感謝申す。これを肴になされよ」と言って左の小脇に刀を突き立てて、右の脇腹まで切目長く切り、腹中の腸を手繰り出して道準の前に臥しました。道準も盃を取って、「みごとな肴よ、どんな下戸であろうと呑まないわけには行かぬは」と冗談を申して、その盃を半分ばかり呑み残して、諏訪入道(諏訪直性)の前に差し置き、同じく腹を切って死にました。諏訪入道直性は、その盃を取って心閑かに三度傾けて、相摸入道殿(北条高時。鎌倉幕府第十四代執権)の前に差し置いて、「若者どもが随分と芸を尽くして振る舞ったものを年寄りだからと申して何もせぬ訳には行かぬ、今より後は皆これを葬送の肴にせよ」と申して、腹を十文字に切って、その刀を抜いて入道殿(北条高時)の前に差し置きました。
(続く)