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「太平記」新田義貞賜綸旨事(その1)

上野かうづけの国の住人ぢゆうにん新田の小太郎義貞よしさだまうすは、八幡はちまん太郎義家よしいへ十七代の後胤こういん源家嫡流げんけちやくりうの名家なり。しかれども平氏世を執つて四海皆その威に服する時節をりふしなれば、無力関東くわんとうの催促に随つて金剛山こんがうせんの搦め手にぞ被向ける。ここに如何なる所存か出で来にけん、ある時執事船田入道義昌よしまさを近付けてのたまひける、「いにしへより源平両家りやうけ朝家てうけに仕へて、平氏世を乱る時は、源家これをしづめ、源氏かみをかす日は平家これををさむ。義貞不肖ふせうなりと云へども、当家の門楣もんびとして、譜代弓矢の名をけがせり。しかるに今相摸入道の行迹かうせきを見るに滅亡とほきに非ず。我本国にかへつて義兵を挙げ、先朝せんてう宸襟しんきんを休め奉らんと存ずるが、勅命をかうむらでは叶ふまじ。いかんして大塔宮おほたふのみや令旨りやうじを賜はつて、この素懐このそくわいを可達」と問ひ給ひければ、船田入道畏つて、「大塔宮はこの辺の山中に忍びて御座候ふなれば、義昌方便はうべんを廻らして、急いで令旨を申し出だし候ふべし」と、事安げに領掌申りやうじやうまうして、己が役所へぞ帰りける。




上野国の住人新田小太郎義貞(新田義貞)と申すのは、八幡太郎義家(源義家)十七代の後胤([子孫])、源家嫡流(新田氏は義家の三男、義国よしくにの長男新田義重よししげを祖とする)の名家でした。けれども平氏(北条氏)が世を執って四海([国内])皆その威に服していましたので、仕方なく関東(鎌倉幕府)の催促に従って金剛山(現大阪府と奈良県の境にある山)の搦め手([後陣])に向かっていました。ここにどのような所存([考え])かあったか、ある時執事船田入道義昌(船田義昌。新田義貞の執事)を近付けて申すには、「古より源平両家は朝家に仕えて、平氏が世を乱す時は、源家これを鎮め、源氏が上([天皇])の政を損なう時は平家がこれを治める。この義貞不肖とは申せども、当家の門楣([首領])として、譜代弓矢の名を汚した。だが今相摸入道(北条高時たかとき。鎌倉幕府第十四代執権)の行迹([人が行ってきた事柄])を見るに滅亡は遠くはないであろう。我は本国に帰って義兵を挙げ、先朝(第九十六代後醍醐天皇)の宸襟([天子の心])を休めたいと思っておるのだが、勅命を蒙らないことにはどうにもならぬ。なんとしても大塔宮(護良もりよし親王)の令旨([皇太子・三后=太皇太后・皇太后・皇后。の命令を伝えるために出した文書])を賜わり、この素懐を遂げたいものだが」と訊ねると、船田入道(義昌)は畏まって、「大塔宮はこの近くの山中に忍んでおられるということでございますれば、この義昌が方便([ある目的を達するための便宜上の手段])を廻らして、急いで令旨を下されるよう申し上げましょうぞ」と、事安げに領掌([承諾すること])して、己の役所([戦陣で、将士が本拠としている所])へ帰りました。


続く


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by santalab | 2016-02-16 07:13 | 太平記 | Comments(0)

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