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「太平記」新田義貞賜綸旨事(その2)

その翌日船田己が若党わかたう三十さんじふ余人、野伏のすがたに出で立たせて、夜中に葛城かづらきの峯へ上せ、我が身は落ち行く勢の真似をして、朝まだきの霞隠れに、追つつかへしつ半時計はんじばか同士軍どしいくさをぞしたりける、宇多うだ内郡うちのこほりの野伏どもこれを見て、御方の野伏ぞと心得、力を合はせん為に余所の峯より下り合うて近付きたりけるところを、船田が勢の中に取り籠めて、十一人まで生け捕りてげり。船田この生け捕りどもを解きゆるして潛かにまうしけるは、「今なんぢらをたばかり搦め取りたる事、まつたく誅せん為に非ず。新田殿本国へかへつて、御旗を挙げんとし給ふが、令旨りやうじなくては叶ふまじければ、汝らに大塔宮おほたふのみやの御坐所をたづね問はん為に召し取りつるなり。命しくば案内者して、こなたの使ひを連れて、宮の御座あんなる所へ参れ」とまうしければ、野伏どもおほきに悦びて、「その御意にて候はば、いと安かるべき事にて候ふ。この中に一人しばしのいとまを賜はり候へ、令旨を申し出だしてまゐらせ候はん」と申して、残り十人をば留め置き、一人宮の御方へとてぞまゐりける。




その翌日船田(船田義昌よしまさ)は己の若党を三十余人を、野伏姿で出で立たせて、夜中に葛城山(現奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境に位置する大和葛城山)へ上らせて、自身は落ち行く勢の真似をして、夜がまだ明けきらない霞隠れに、追いつ返りつ半時ばかり同士軍をしました、宇多(現奈良県宇陀郡)・内郡(宇知郡?現奈良県五條市。なら和泉葛城山か?)の野伏どもこれを見て、味方の野伏だと思い、力を合わせるために余所の峯より下り合い近付いたところを、船田(義昌)は勢の中に取り籠めて、十一人を生け捕りにしました。船田(義昌)は生け捕った者の縄を解いて小声で申すには、「お前たちをだまして生け捕ったのは、誅するためではない。新田殿(新田義貞)は本国に帰り、旗を上げようとしておられるが、令旨([皇太子・三后=太皇太后・皇太后・皇后。の命令を伝えるために出した文書])がなくてはそれも叶わず、お前たちに大塔宮(護良もりよし親王)がおられる所を訊ねるために召し取ったまでのこと。命が惜しければ案内者として、当方の使いを連れて、宮のおられる場所へ連れて参れ」と申せば、野伏どもはたいそうよろこんで、「そういうことなら、とても容易いことでございます。この中の一人にしばしの暇を賜わられますよう、必ずや令旨を願い申して参らせましょう」と答えて、残り十人を留め置き、ただ一人宮の方へと参りました。


続く


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by santalab | 2016-02-16 08:01 | 太平記 | Comments(0)

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