Santa Lab's Blog


「太平記」新田義貞賜綸旨事(その4)

兵粮ひやうらう運送うんそうの道絶えて、千剣破ちはやの寄せ手もつてのほかに気を失へる由聞こへければ、また六波羅より宇都宮をぞ下されける。紀清両党千余騎寄せ手にくははつて、いまだくつせざる荒手なれば、やがて城の堀のきはまで責め上つて、夜昼少しも不引退、じふ余日までぞ責めたりける。この時にぞ、屏の際なる鹿垣ししがき・逆茂木皆被引破て、城も少し防ぎ兼ねたるていにぞ見へたりける。されども紀清両党の者とても、斑足王はんぞくわうの身をも借らざれば天をも翔けり難し。竜伯公りゆうはくこうが力を不得ば山をもつんざき難し。余りに為ん方やなかりけん、おもてなる兵には軍をさせて後ろなる者は手々にすきくはを以つて、山を掘りたふさんとぞくはだてける。げにも大手おほてやぐらをば、夜昼三日が間に、ねむなく掘りくづしてけり。諸人これを見て、ただ始めより軍を止めて掘るべかりけるものを、と後悔して、我も我もと掘りけれども、まはり一里に余れる大山なれば左右さうなく掘り倒さるべしとは見へざりけり。




兵粮を運送する道は絶えて、千剣破(千早城。現大阪府南河内郡千早赤阪村にあった赤坂城)の寄せ手はすっかり覇気を失っていると聞こえたので、また六波羅より宇都宮(宇都宮公綱きんつな)を下しました。紀清両党([宇都宮氏の家中の精鋭として知られた武士団])が千余騎寄せ手に加わって、いまだ軍に負けたことがない新手でしたので、すぐに城の堀の際まで攻め上り、夜昼少しも引かず、十余日に渡り攻めました。この時に、屏の際の鹿垣([害獣の進入を防ぐ目的で山と農地との間に石や土などで築いた垣])・逆茂木([敵の侵入を防ぐために、先端を鋭くとがらせた木の枝を外に向けて並べ、結び合わせた柵])も皆引き破られて、城も少し防ぎかねるように見えました。けれども紀清両党の者にしても、斑足王([インドの伝説上の王])の身でなければ天を駆けることもできませんでした。また竜伯公(?)の力もなく山を登ることもできませんでした。ほかに手立てがなかったか、前面の兵には軍をさせて後方の者には手々に鋤・鍬を持たせて、山を掘り倒そうと企てました。まこと大手([城の正面])の櫓を、夜昼三日の間に、ひたすら掘り崩しました。諸人はこれを見て、はじめから軍を止めて掘っておけばよかったものを、と後悔ししながら、我も我もと掘りましたが、廻り一里に余る大山でしたので容易く掘り倒せるとも思えませんでした。


続く


[PR]
by santalab | 2016-02-16 08:20 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」赤松蜂起事(その2)      「太平記」新田義貞賜綸旨事(その2) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
さらに付け加えますと、こ..
by 八島 守 at 09:03
おそらく「国民文庫」だと..
by santalab at 21:09
こんにちは。今日はSan..
by 佐藤綾乃 at 18:44
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧