Santa Lab's Blog


「太平記」赤松蜂起事(その1)

去るほどに楠木が城強くして、京都は無勢ぶせいなりと聞こへしかば、赤松二郎入道円心ゑんしん、播磨の国苔縄こけなはの城より打つて出で、山陽せんやう山陰せんおん両道りやうだうを差し塞ぎ、山里やまのさと梨原なしがはらあひだに陣を取る。ここに備前・備中・備後・安芸・周防すはうの勢ども、六波羅の催促に依つて上洛しやうらくしけるが、三石みついしの宿に打ち集まつて、山里の勢を追ひ払うてとほらんとしけるを、赤松筑前のかみ舟坂山に支へて、宗との敵二十にじふ余人を生け捕りてけり。しかれども赤松これを討たせずして、情け深く相交あひまじはりける間、伊東大和の二郎その恩を感じて、忽ちに武家与力よりきの心ざしを変じて、官軍くわんぐん合体がつていの思ひをなしければ、先づ己がたちの上なる三石山みついしやま城郭じやうくわくを構へ、やがて熊山へ取り上りて、義兵を揚げたるに、備前の守護加治かぢの源二郎左衛門じらうざゑもん一戦に利を失うて、児嶋を指して落ちて行く。




やがて楠木(楠木正成)の城(現大阪府南河内郡千早赤阪村にあった山城)が守り強く、京都(鎌倉幕府方)は無勢と聞こえたので、赤松二郎入道円心(赤松則村のりむら)は、播磨国の苔縄城(現兵庫県赤穂郡上郡町苔縄にあった山城)より打って出て、山陽・山陰両道を塞ぎ、山里(現兵庫県赤穂郡上郡町山野里)と梨原(現庫県赤穂郡神郡町梨ケ原)の間に陣を取りました。ここに備前(現岡山県南東部)・備中(現岡山県西部)・備後(現広島県東部)・安芸(現広島県西部)・周防(現山口県東部)の勢どもが、六波羅(六波羅探題)の催促によって上洛していましたが、三石宿(現岡山県備前市三石)に集まって、山里の勢を追い払って通ろうとするところを、赤松筑前守(赤松貞範さだのり。則村の次男)が舟坂山(船坂峠。現兵庫・岡山県境にある峠)が塞いで、主な敵二十余人を生け捕りました。けれども赤松(則村)はこれを討たせず、情け深く接したので、伊東大和二郎(伊東宣祐のぶひろ)はその恩を感じて、たちまちに武家(鎌倉幕府)へ与力する心を変えて、官軍(後醍醐天皇方)に加わることにしました、まず己の館の上にある三石山(現岡山県備前市)に城郭を構え、やがて熊山(現岡山県赤磐市)に上り、義兵を上げました、備前守護加治源二郎左衛門(加地氏。佐々木氏流)は一戦に負けて、児島(現岡山県倉敷市児島)を指して落ちて行きました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-02-16 08:34 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」高時並一門以下於東勝...      「太平記」赤松蜂起事(その2) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
すみません、日本語の起源..
by 春日 at 21:17
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧