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「太平記」摩耶合戦の事付酒部瀬河合戦の事(その1)

先帝すでに船上ふなのうへ着御ちやくぎよ成つて、隠岐の判官清高きよたか合戦に打ち負けし後、近国の武士ども皆馳せ参る由、出雲いづも伯耆はうき早馬はやむま頻並しきなみに打つて、六波羅へ告げたりければ、事すでに珍事に及びぬと聞く人色を失へり。これに付けても、きやう近き所に敵の足を溜めさせては叶ふまじ。先づ摂津つのの国摩耶のじやうへ押し寄せて、赤松を可退治とて、佐々木の判官時信ときのぶ・常陸の前司時知ときとも四十八箇所しじふはちかしよかがり在京人ざいきやうにん並びに三井寺みゐでら法師三百余人を相副あひそへて、以上五千余騎を摩耶の城へぞ被向ける。その勢うるふ二月五日京都を立つて、同じき十一日の卯の刻に、摩耶の城の南の麓、求塚もとめづか八幡林やはたばやしよりぞ寄せたりける。赤松入道これを見て、わざと敵を難所なんじよにおびき寄せん為に、足軽の射手一二百人を麓へ下ろして、遠矢とほや少々射させて、城へ引き上がりけるを、寄せ手勝つに乗つて五千余騎、さしもけはしき南の坂を、人馬に息も継がせず揉みに揉うでぞ上げたりける。




先帝(第九十六代後醍醐天皇)はすでに船上山(現鳥取県東伯郡琴浦町)に着かれて、隠岐判官清高(佐々木清高)が合戦に打ち負けた後は、近国の武士どもが皆馳せ参っていると、出雲・伯耆から早馬がひっきりなしに、六波羅に知らせたので、これはどういうことかと聞く人は色を失いました。これに付けても、京に近い所に敵の足を踏ませては叶うまい。まずは摂津国摩耶城へ押し寄せて、赤松(赤松則村のりむら)を退治すべしと、佐々木判官時信(佐々木時信)・常陸前司時知(北条時知)に四十八箇所の篝火、在京人並びに三井寺(現滋賀県大津にある園城寺)法師三百余人を添えて、五千余騎を摩耶城へ向けました。その勢は閏二月五日に京都を立って、同じ十一日の卯の刻([午前六時頃])に、摩耶城の南の麓、求塚(処女塚をとめづか。現兵庫県神戸市東灘区にある前方後方墳)・八幡林(現兵庫県神戸市灘区)より寄せました。赤松入道(則村)はこれを見て、わざと敵を難所におびき寄せるために、足軽の射手一二百人を麓へ下ろして、遠矢を少々射させてから、城へ引き上げましたが、寄せ手は勝つに乗って五千余騎が、たいそう嶮しい南の坂を、人馬に息も継がせず押し上げがりました。


続く


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by santalab | 2016-02-20 10:36 | 太平記 | Comments(0)

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