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「太平記」五大院右衛門宗繁賺相摸太郎事(その3)

かくて二三日を経て後、平氏悉く滅びしかば、関東くわんとう皆源氏の顧命こめいに随がつて、ここかしこに隠れたる平氏の一族ども、数多あまた捜し出だされて、捕り手は所領しよりやうあづかり、隠せる者は忽ちに被誅事多し。五大院ごだいゐん右衛門うゑもんこれを見て、いやいや果報くわはう尽き果てたる人を扶持ふちせんとてたまたま遁れ得たる命を失はんよりは、この人の在所を知つたる由、源氏のつはものに告ぐて、二心なきところを顕はし、所領の一所をも安堵せばやと思ひければ、ある夜かの相摸太郎に向かつてまうしけるは、「これに御坐の事は、如何なる人も知り候はじとこそ存じて候ふに、いかがして漏れ聞こへさふらひけん、船田入道明日みやうにちこれへ押し寄せ候ひて、捜し奉らんと用意候ふ由、只今ある方より告げ知らせて候ふ。何様御座の在所を、今夜替へ候はでは叶ふまじく候ふ。夜に紛れて、急ぎ伊豆いづ御山おやまの方へ落ちさせ給ひ候へ。宗繁むねしげも御伴まうしたくは存じ候へども、一家いつけを尽くして落ち候ひなば、船田入道、さればこそと心付きて、いづくまでもたづね求むる事も候はんと存じ候ふ間、わざと御伴をば申すまじく候ふ」と、まことしがほに成つて云ひければ、相摸太郎げにもと身の置き所なくて、五月二十七日にじふしちにちの夜半計りに、忍びて鎌倉を落ち給ふ。




こうして二三日を経た後、平氏は一人残らず滅んだので、関東は皆源氏の顧命([思いやりから出た命令])に従い、あちらこちらに隠れていた平氏一族どもが、数多く捜し出されて、捕り手は所領を与えられ、隠れた者の多くはたちまちに誅殺されました。五大院右衛門(五大院宗繁むねしげ)はこれを見て、果報が果てた人を扶持([助けること])して運よく遁れることができた命を失うよりは、この人の在所を知っていると、源氏の兵に知らせて、二心ないことを示し、所領の一所も安堵([土地の所有権・領有権・知行権などを幕府・領主が公認したこと])しようと思い、ある夜かの相摸太郎(北条邦時くにとき。鎌倉幕府第十四代執権、北条高時たかときの長男)に向かって申すには、「ここにおられることは、どのような人も知っておらぬと思っておりましたが、いったいどうして漏れ聞こえたのか、船田入道(船田義昌よしまさ)が明日ここへ押し寄せて、捜そうと支度していると、たった今ある方より告げ知らせがございました。ともかく御座の在所を、今夜替えられるほかございません。夜に紛れて、急ぎ伊豆の御山(伊豆山。現静岡県熱海市)の方へお逃げになられますよう。この宗繁もお伴申したくは存じますが、一家残らず落ちれば、船田入道(船田義昌)は、ならばと、どこまでも尋ね求めるやも知れませんので、わざとお供はいたしません」と、真顔で言ったので、相摸太郎(北条邦時)も留まるわけにはいかないと、五月二十七日の夜半に、忍んで鎌倉を落ちて行きました。


続く


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by santalab | 2016-02-22 07:19 | 太平記 | Comments(0)

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