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「太平記」五大院右衛門宗繁賺相摸太郎事(その6)

にはかの事にて張輿はりごしなんどもなければ、馬に乗せ舟のなはにてしたたかにこれをいましめ、中間ちゆうげん二人ににんに馬の口を引かせて、白昼はくちうに鎌倉へ入れ奉る。これを見聞く人毎に、袖を絞らぬはなかりけり。この人未だ幼稚えうちの身なれば、何程の事かある>べけれども、朝敵てうてきの長男にてをはすれば、非可閣とて、すなはち翌日の暁、潛かに首を刎ね奉る。昔程嬰ていえいが我が子を殺して、幼稚の主の命に替へ、予譲よじやうかたちを変じて、旧君きうくんの恩を報ぜし、それまでこそなからめ、年来の主を敵に討たせて、欲心に義を忘れたる五大院ごだいゐん右衛門うゑもんが心のほど、希有けうなり。不道ふだうなりと、見る人毎に爪弾きをして憎みしかば、義貞げにもと聞き給ひて、これをも可誅と、内々その儀定まりければ、宗繁むねしげこれを伝へ聞いて、ここかしこに隠れ行きけるが、梟悪けうあくの罪身をめけるにや、三界雖広一身をくに処なく故旧こきう雖多一飯を与ふる無人して、つひ乞食こつじきの如くに成り果てて、道路のちまたにして、飢ゑ死にけるとぞ聞こへし。




にわかのことで張輿([屋形と左右の両側を畳表で張り、押縁おしぶちを打った略式の輿])などもなければ、馬に乗せ舟の縄できつく縛り、中間([武士の下位の者])二人に馬の口を引かせて、白昼に鎌倉へ入りました。これを見聞く人毎に、袖を絞らぬ者はいませんでした。この人(北条邦時くにとき。鎌倉幕府第十四代執権、北条高時たかときの長男)はまだ幼い身でしたので、なにほどのことかあるべくもありませんでしたが、朝敵の長男でしたので、生かしてはおけまいと、たちまち翌日の暁に、密かに首を刎ねました。昔程嬰が我が子を殺して、幼稚の主(智瑶=智伯、春秋末期の晋の政治家・武将。の子)の命に替え、豫譲(春秋戦国時代の人)が姿を変えて(厠番らしい)、旧君(智伯)の恩に報じた、までのことはないにしろ、年来の主を敵に討たせて、欲心に義を忘れた五大院右衛門(五大院宗繁むねしげ)の心のほどこそ、ありえませんでした。不道の者と、見る人毎に爪弾きをして憎んだので、義貞(新田義貞)ももっともなことと聞いて、これも誅殺すべしと、内々その儀に定まれば、宗繁はこれを伝え聞いて、ここかしこに隠れようとしましたが、梟悪([性質が非常に悪くて、人の道に背くこと])の罪によるものか、三界([人間界])広しといえども一身の置き所なく故旧([古くからの知り合い])は多いといえども一飯を与える人もなく、遂に乞食の如く成り果てて、巷で、飢え死にしたということです。


続く


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by santalab | 2016-02-25 08:06 | 太平記 | Comments(0)

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