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「太平記」長崎新左衛門尉意見の事付阿新殿の事(その4)

さるほどに、「君の御謀反をまうし勧めけるは、源中納言ぢゆうなごん具行ともゆき右少弁うせうべん俊基としもと・日野の中納言資朝すけともなり、各々死罪に行はるべし」と評定ひやうぢやう一途いちづに定まつて、「先づ去年より佐渡の国へ流されてをはする資朝のきやうを斬り奉るべし」と、その国の守護本間山城入道に被下知。この事京都に聞こへければ、この資朝の子息国光くにみつの中納言、その頃は阿新殿くまわかどのとて歳十三にてをはしけるが、父の卿召人めしうどに成り給ひしより、仁和寺辺に隠れてられけるが、父誅せられ給ふべき由を聞いて、「今は何事にか命をしむべき。父と共に斬られて冥途の旅の伴をもし、また最後の御有様をも見奉るべし」とて母に御いとまをぞはれける。母御ははごしきりに諌めて、「佐渡とやらんは、人も通はぬ怖ろしき嶋とこそ聞こゆれ。日数ひかずる道なればいかんとしてか下るべき。そのうへなんぢにさへ離れては、一日片時へんしも命ながらふべしとも思へず」と、泣き悲しみて止めければ、「よしや伴ひ行く人なくば、いかなる淵瀬にも身を投げて死なん」とまうしける間、母痛く止めば、また目のまへに憂き別れもありぬべしと思ひ侘びて、力なく今迄ただ一人付きひたる中間ちゆうげんあひ添へられて、遥々と佐渡の国へぞ下しける。




やがて、「君(第九十六代後醍醐天皇)に謀反を勧めたのは、源中納言具行(源具行)・右少弁俊基(日野俊基)・日野中納言資朝(日野資朝)です。各々死罪になすべし」と評定は一途に定まって、「まず去年より佐渡国へ流されておる資朝卿を斬られよ」と、その国の守護本間山城入道(本間泰宣やすのぶ)に下知しました。このことが京都に聞こえたので、資朝の子息国光中納言(日野邦光)は、その頃は阿新殿と申して歳は十三でしたが、父の卿が囚人([捕らえられた人])になってからは、仁和寺(現京都市右京区にある寺院)辺に隠れていました、父が誅せられることを聞いて、「今は何に命を惜しむべき。父とともに斬られて冥途の旅の供をし、また最後の有様を見るべし」と母に暇を請いました。母はしきりに諌めて、「佐渡というのは、人も通わぬ怖ろしい島と聞いています。日数を経る道ですからどうして下ることができましょう。その上お前までいなくなってしまえば、一日片時も命永らえるとも思えません」と、泣き悲しんで止めたので、「もし伴い行く人がなければ、いかなる淵瀬にも身を投げて死ぬ覚悟です」と申したました、母は強ちに止めれば、目の前にして悲しい別れもあるやと思い侘びて、仕方なく今までただ一人付き添っていた中間([武士の下位の者])を添えて、遥々と佐渡国へ下しました。


続く


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by santalab | 2016-02-26 07:37 | 太平記 | Comments(0)

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