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「太平記」筑紫合戦の事(その1)

京都・鎌倉は、すでに高氏・義貞の武功に依つて静謐せいひつしぬ。今は筑紫へ討つ手を被下て、九国の探題英時ひでときを可被責とて、二条にでうの大納言師基もろもときやうを太宰のそつに被成て、既に下し奉らんとせられける処に、六月七日、菊池・小弐せうに大伴おほどもが許より、早馬はやむま同時に京着きやうちやくして、九州の朝敵無所残、退治候たいぢさふらひぬと奏聞す。その合戦の次第を、後にくはしく尋ぬれば、主上しゆしやう未だ舟上ふなのうへに御座ありし時、小弐入道妙慧めうゑ大伴おほども入道具簡ぐかん・菊入道にふだう寂阿じやくあ、三人同心して、御方に可参由をまうし入れける間、すなはち綸旨に錦の御旗を副へてぞ被下ける。




京都・鎌倉は、すでに高氏(高師直もろなほ師泰もろやす)・義貞(新田義貞)の武功によって平定されました。今は筑紫へ討手を下し、九国の探題(鎮西探題)英時(北条英時)を攻めるべしと、二条大納言師基卿(二条師基)を太宰帥に成して、下そうとするところに、六月七日、菊池(菊池武重たけしげ。菊池武時たけとき=寂阿。の嫡男)・少弐(少弐貞経さだつね=妙慧)・大友(大友貞宗さだむね=具簡)の許より、早馬が同時に京着して、九州の朝敵を残らず、退治したことを奏聞しました。その合戦の次第を、後に詳しく訊ねると、主上(第九十六代後醍醐天皇)がまだ船上(現鳥取県東伯郡琴浦町)におられた時のことでしたが、少弐入道妙慧・大友入道具簡・菊池入道寂阿の、三人が同心して、味方に参ると申したので、たちまち綸旨に錦の旗を添えて下されました。


続く


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by santalab | 2016-03-02 07:43 | 太平記 | Comments(0)

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