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「太平記」長崎新左衛門尉意見の事付阿新殿の事(その10)

阿新は竹原ささはらの中に隠れながら、今はいづくへか遁るべき。人手に懸からんよりは、自害をせばやと思はれけるが、にくしと思ふ親のかたきをば討つつ、今はいかにもして命をまつたうして、君の御用にも立ち、父の素意をも達したらんこそ忠臣孝子の儀にてもあらんずれ、もしやと一まど落ちて見ばやと思ひかへして、堀を飛び越えんとしけるが、口二丈深さ一丈に余りたる堀なれば、越ゆべきやうもなかりけり。さらばこれを橋にしてはたらんよと思つて、堀の上にすゑなびきたる呉竹のこずゑへさらさらと登りたれば、竹の末堀の向かひへなびき伏して、易々と堀をば越えてげり。夜は未だ深し、湊の方へ行いて、舟に乗つてこそくがへは着かめと思うて、たどるたどる浦の方へ行くほどに、夜も早や次第に明け離れて忍ぶべき道もなければ、身を隠さんとて日を暮らし、麻やよもぎの生ひ茂りたる中に隠れ居たれば、追手おひてどもと思しき者ども百四五十騎馳せ散つて、「もし十二三計りなるちごや通りつる」と、道に行き合ふ人毎に問ふ音してぞ過ぎ行きける。阿新その日は麻の中にて日を暮らし、夜になれば湊へと心ざして、そことも知らず行くほどに、孝行の心ざしを感じて、仏神擁護のまなじりをやめぐらされけん、年老いたる山臥一人行き合ひたり。




阿新丸は竹原の中に隠れながら、今はどこに遁れることができよう。人手に懸かるよりは、自害をしようと思いましたが、憎むべき親(日野資朝すけとも)の敵を討った、今はいかにもして命を全うして、君(第九十六代後醍醐天皇)のご用にも立ち、父の素意をも遂げることこそ忠臣孝子というものであろう、もしやとひとまず落ちて見ようと思い返して、堀を飛び越えようとしましたが、幅二丈(約3.6m)深さ一丈に余る堀でしたので、とても越えることができるとも思えませんでした。ならばこれを橋にして渡ろうと思って、堀の上に末がなびいた呉竹の梢へするすると登ると、竹の末を堀の向かいへなびき伏して、易々と堀を越えることができました。夜はまだ深かったので、湊の方へ向かって、舟に乗って陸へ着こうと思い、たどるたどる浦の方へ行くほどに、夜も早や次第に明けて隠れる道もなく、身を隠そうと日を暮らし、麻や蓬の生い茂る中に隠れました、追手どもと思われる者どもが百四五十騎馳せ散って、「もしや十二三ばかりの稚児が通らなかったか」と、道に行き合う人毎に訊ねる声がして行き過ぎました。阿新丸はその日は麻の中で日を暮らし、夜になれば湊へと心ざして、そことも知らず行くほどに、孝行の心ざしを感じて、仏神が擁護の眸を回らしたのか、年老いた山伏に出会いました。


続く


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by santalab | 2016-03-04 20:33 | 太平記 | Comments(0)

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