探題は、兼ねてより用意したる事なれば、大勢を城の木戸より外へ出して戦はしむるに、菊池小勢なりといへども、皆命を塵芥に比し、義を金石に類して、責め戦ひければ、防ぐ兵若干被打て、攻めの城へ引き篭もる。菊池勝つに乗つて、屏を越え関を切り破つて、透き間もなく責め入りける間、英時堪へ兼ねて、既に自害をせんとしける処に、小弐・大友六千余騎にて、後攻めをぞしたりける。菊池入道これを見て、嫡子に肥後の守武重を喚びて云ひけるは、「我今小弐・大友に被出抜て、戦場の死に赴くといへども、義の当たる所を思ふ故に、命を堕とさん事を不悔。しかれば寂阿に於いては、英時が城を枕にして可討死。汝は急ぎ我が館へ帰つて、城を堅うし兵を起こして、我が生前の恨みを死後に報ぜよ」と云ひ含め、若党五十余騎を引き分けて武重に相副へ、肥後の国へぞ返しける。
探題(北条英時)は、かねてより用意していたので、大勢を城の木戸より外へ出して戦わせましたが、菊池(菊池武時=寂阿)は小勢といえども、皆命を塵芥に軽んじ、義を金石に重くして、攻め戦ったので、防ぐ兵は若干討たれて、攻め城に引き籠もりました。菊池は勝つに乗って、屏を越え木戸を切り破り、透き間もなく攻め入ったので、英時は防ぎ兼ねて、自害をしようとするところに、少弐(少弐貞経=妙慧)・大友(大友貞宗=具簡)が六千余騎で、後詰め([敵の背後に回って攻めること。また、その軍勢])しました。菊池入道(武時)はこれを見て、嫡子の肥後守武重(菊池武重)を呼び寄せて申すには、「わしは少弐・大友に出し抜かれて、戦場の死に赴くが、義に従うと思えば、命を落とすことを悔やんではおらぬ。この寂阿、英時の城を枕にして討ち死にしよう。お前は急ぎわしの館に帰って、城を固くし兵を起こして、このわしの生前の恨みを死後に報ぜよ」と言い含めると、若党五十余騎を分けて武重に付けて、肥後国に帰しました。
(続く)