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「太平記」筑紫合戦の事(その4)

探題は、兼ねてより用意したる事なれば、大勢を城の木戸より外へ出して戦はしむるに、菊池小勢なりといへども、皆命を塵芥ぢんかいし、義を金石きんせきるゐして、責め戦ひければ、防ぐ兵若干そくばく被打て、めのじやうへ引き篭もる。菊池勝つに乗つて、屏を越えきどを切り破つて、透き間もなく責め入りける間、英時ひでときこらへ兼ねて、既に自害をせんとしける処に、小弐・大友おほども六千余騎にて、後攻ごづめをぞしたりける。菊池入道にふだうこれを見て、嫡子に肥後のかみ武重たけしげびて云ひけるは、「我今小弐・大友に被出抜て、戦場の死に赴くといへども、義の当たる所を思ふゆゑに、命を堕とさん事を不悔。しかれば寂阿に於いては、英時が城を枕にして可討死。汝は急ぎ我がたちかへつて、城を堅うし兵を起こして、我が生前しやうぜんの恨みを死後にはうぜよ」と云ひ含め、若党わかたう五十ごじふ余騎を引き分けて武重に相副あひそへ、肥後の国へぞ返しける。




探題(北条英時ひでとき)は、かねてより用意していたので、大勢を城の木戸より外へ出して戦わせましたが、菊池(菊池武時たけとき=寂阿)は小勢といえども、皆命を塵芥に軽んじ、義を金石に重くして、攻め戦ったので、防ぐ兵は若干討たれて、攻め城に引き籠もりました。菊池は勝つに乗って、屏を越え木戸を切り破り、透き間もなく攻め入ったので、英時は防ぎ兼ねて、自害をしようとするところに、少弐(少弐貞経さだつね=妙慧)・大友(大友貞宗さだむね=具簡)が六千余騎で、後詰め([敵の背後に回って攻めること。また、その軍勢])しました。菊池入道(武時)はこれを見て、嫡子の肥後守武重(菊池武重)を呼び寄せて申すには、「わしは少弐・大友に出し抜かれて、戦場の死に赴くが、義に従うと思えば、命を落とすことを悔やんではおらぬ。この寂阿、英時の城を枕にして討ち死にしよう。お前は急ぎわしの館に帰って、城を固くし兵を起こして、このわしの生前の恨みを死後に報ぜよ」と言い含めると、若党五十余騎を分けて武重に付けて、肥後国に帰しました。


続く


by santalab | 2016-03-05 07:26 | 太平記

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