その後追ひ手ども百四五十騎馳せ来たり、遠浅に馬を控へて、「あの舟止まれ」と招けども、舟人これを見ぬ由にて、順風に帆を揚げたれば、舟はその日の暮れほどに、越後の府にぞ着きにける。阿新山臥に助けられて、鰐の口の死を遁れしも、明王加護の御誓ひ掲焉なりける験なり。
その後追い手どもが百四五十騎馳せ来て、遠浅に馬を控えて、「あの舟よ止まれ」と招きましたが、舟人はこれを見えぬ振りで、順風に帆を上げたので、舟はその日の暮れほどに、越後の国府(現新潟県上越市?)に着きました。阿新丸(後の日野邦光)は山臥に助けられて、鰐の口([極めて危険な場所・場合])の死を遁れたのも、明王(不動明王)加護の誓いの掲焉([著しい様])によるものでした。
(続く)