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「太平記」筑紫合戦の事(その6)

その後菊池入道にふだうは二男肥後の三郎と相共あひともに、百余騎を前後に立てて、後攻ごづめの勢には目を不懸して探題の屋形へ責め入り、つひに一足も引かず、敵に指し違へ指し違へ一人も不残打ち死にす。専諸・荊卿が心は恩の為に仕はれ、侯生こうせい予子よしが命は義に依つてかろしとも、これらをや可申。さても小弐・大伴おほどもが今度の振る舞ひ人に非ずと天下の人に被譏ながら、暗知そらしらずして世間のやうを聞きたりける処に、五月七日両六波羅すでに被責落て、千葉屋の寄せ手も悉く南都へ引き退きぬと聞こへければ、小弐入道、こは可如何と仰天ぎやうてんす。さらば我れ探題を奉討身のとがを遁ればやと思ひければ、先づ菊池肥後のかみと大友入道とが許へ内々使者を遣はして相語あひかたらふに、菊池は先にりて耳にも不聞入。大友は我も咎ある身なれば、かくてや助かると堅く領掌りやうじやうしてげり。




その後菊池入道(菊池武時たけとき=寂阿)は二男肥後三郎とともに、百余騎を前後に立てて、後詰め([敵の背後に回って攻めること。また、その軍勢])の勢には目をかけず探題(北条英時ひでとき)の館に攻め入り、終に一足も引かず、敵に刺し違へ指し違え一人も残らず討ち死にしました。専諸(春秋時代の呉の公子光=後の呉王闔閭こうりよ。の側近で、呉王僚の暗殺を実行した刺客)・荊卿(荊軻けいか。中国戦国時代末期の刺客。燕太子の命を受け、策略を用いて秦王の政=後の始皇帝。を暗殺しようとするが、失敗し逆に殺された)が心は恩のために仕え、侯生(侯嬴。中国戦国時代魏の人で門番をしていたらしい。魏公子、信陵君のために自刎したらしい)・予子(予譲。中国春秋時代の晋の人。晋の政治家・武将、智瑶ちように仕え、智瑶の仇を討つために、晋の政治家、趙襄子を狙ったが捕らえられて自決したらしい)が命を義によって軽んじたのも、このようなことでしたか。それにしても少弐(少弐貞経さだつね=妙慧)・大友(大友貞宗さだむね=具簡)のこの度の振る舞い人にあらずと天下の人に誹られながらも知らぬ顔で世間の成り行きを窺っていましたが、五月七日に両六波羅はすでに攻め落とされて、千早(現大阪府南河内郡千早赤阪村)の寄せ手も残らず南都(奈良)へ引き退いたと聞こえたので、少弐入道(貞経)は、これはどういうことかと仰天しました。こうなっては探題(北条英時ひでとき)を討って難を遁れようと思い、まず菊池肥後守(菊池武重たけしげ。菊池武時たけとき=寂阿。の嫡男)と大友入道(貞宗)の許に内々使者を遣わして仲間にしようとしましたが、菊池(武重)は前に懲りて聞き入れませんでした。大友(貞宗)は同じく罪ある身でしたので、助かることもあろうかと固く同意しました。


続く


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by santalab | 2016-03-07 21:47 | 太平記 | Comments(0)

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