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「太平記」筑紫合戦の事(その8)

小弐筑後の入道、さては我が謀反のくはだて、早や探題に被知てげり。今はむ事を得ぬ所なりとて、大伴入道相共あひともに七千余騎の軍兵ぐんぴやうを率して、同じき五月二十五日の午の刻に、探題英時ひでときたちへ押し寄せける。世のすゑの風俗、義を重んずる者は少なく、利にうつる人は多ければ、只今まで付きしたがひつる筑紫九箇国くかこくつはものどもも、恩を忘れて落ち失せ、名をもしまでひるがへりける間、一朝いつてうの間の戦ひに、英時遂に打ち負けて、忽ちに自害しければ、一族郎従らうじゆう三百四十人さんびやくしじふにん、続いて腹をぞ切つたりける。あはれなるかな、昨日きのふは小弐・大友、英時にしたがひて菊池を討ち、今日はまた小弐・大友、官軍くわんぐんしよくして、英時を討つ。「行路難、不在山兮、不在水、唯在人情反覆之間」と、白居易が書きたりし筆の跡、今こそ被思知たれ。




少弐筑後入道(少弐貞経さだつね=妙慧)は、さては我が謀反の企てが、早や探題(北条英時ひでとき)に知られたか。ならばやるしかないと、大友入道(大友貞宗さだむね=具簡)とともに七千余騎の軍兵を率して、同じ五月二十五日の午の刻([午前十二時頃])に、探題英時の館に押し寄せました。世の末の風俗(風潮)は、義を重んじる者は少なく、利に走る人は多ければ、只今まで付き従う筑紫九箇国の兵どもも、恩を忘れて落ち失せ、名を惜しまず敵対したので、一朝の間の戦いに、英時は遂に打ち負けて、たちまち自害しました、一族郎従([家来])三百四十人も、続いて腹を切りました。哀れなことでした、昨日は少弐(貞経)・大友(貞宗)は、英時に従って菊池(菊池武時たけとき=寂阿)を討ち、今日はまた少弐・大友、官軍に属して、英時を討ちました。「(太行山=中国北部にある山地の行路は険しいというが)我が道を阻むものは、山でもなく、大河でもなく、ただ人の心がたちまちに変わってしまうことである」と、白居易が書いた筆の跡が、今こそ思い知られるのでした。


続く


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by santalab | 2016-03-09 20:08 | 太平記 | Comments(0)

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