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「太平記」越中守護自害の事付怨霊の事(その2)

五月十七日じふしちにちの午の刻に敵すでに一万余騎にて寄すると聞こへしかば、「我らこの小勢にて合戦をすとも、何ほどの事をかし出だすべき、なまじひなるいくさして、無云甲斐敵の手に懸かり、縲紲るゐせつの恥に及ばん事、後代までのあざけりたるべし」とて、敵の近付かぬさき女性によしようをさなき人々をば舟に乗せて沖に沈め、我が身は城の内にて自害をせんとぞ出で立ちける。遠江とほたふみかみの女房は、偕老かいらうの契りを結びて今年二十一年になれば、恩愛の懐の内に二人ににん男子なんしを育てたり。兄は九つおととは七つにぞ成りける。修理しゆりすけ有公ありともが女房は、相馴あひなれてすでに三年に余りけるが、ただならぬ身に成つて、早や月頃過ぎにけり。兵庫ひやうごの助貞持さだもちが女房は、この四五日さきに、京より迎へたりける上臈じやうらふ女房にてぞありける。その昔紅顔翠黛こうがんすゐたいの世に無類有様、ほのかに見初めし珠簾たまだれの隙もあらばと心に懸けて、三年余り恋ひ慕ひしが、とかく手立てを廻らして、盗み出だしてぞ迎へたりける。語ひ得てわづかに昨日今日きのふけふのほどなれば、逢ふに替はらんと歎き来し命も今は被惜ける。恋ひ悲しみし月日は、あまの羽衣撫で尽くすらんほどよりも長く、相見て後の直路ただちは、春の夜の夢よりもなほ短し。たちまちにこの悲しみに逢ひける契りのほどこそあはれなれ。すゑの露もとしづく、後れ先立つ道をこそ、悲しきものと聞きつるに、浪の上、けぶりの底に、沈み焦がれん別れの憂さ、こはそもいかがすべきと、互ひに名残りをしみつつ、伏しまろびてぞ被泣ける。




五月十七日の午の刻([午前十二時])に敵はすでに一万余騎で寄せると聞こえたので、「我らがこの小勢で合戦をしたところで、どうなるものでもあるまい、下手に軍をして、甲斐もなく敵の手に懸かり、縲紲([罪人として捕らわれること])の恥を晒せば、後代まで笑われることであろう」と申して、敵が近付かぬ前に女性・幼い者たちを舟に乗せて沖に沈め、我が身は城内で自害をしようと出で立ちました。遠江守(北条時有ときあり)の女房は、偕老([夫婦が、年をとる まで仲よく一緒に暮らすこと])の契りを結んで今年で二十一年になれば、恩愛の懐の内に二人の男子を養育していました。兄は九つ弟は七つになっていました。修理亮有公(北条有公)の女房は、夫婦になってすでに三年に余りましたが、身籠って、月頃を過ぎました。兵庫助貞持(北条貞持)の女房は、四五日前に、京より迎えた上臈女房([身分の高い女房])でした。その昔紅顔翠黛([若い美人])で世に類なき姿を、ほのかに見初めて珠簾([珠でかざったすだれ])の隙ほどの望みを心に懸けて、三年余り恋い慕っていましたが、とかく手立てを廻らして、盗み出して迎えたのでした。相語らってわずかに昨日今日のほどでしたので、どうにかして逢いたいと嘆き続けた命を今は惜しくて仕方ありませんでした。恋に悲しんだ月日は、天の羽衣を撫で尽くすよりも長く(一辺四十里の岩を三年に一度もしくは百年に一度、天女が舞い降りて羽衣で撫で、岩がすり減って完全になくなるまでの時間を「劫」と呼ぶ。『大智度論』)、相見て後のただちは、春の短か夜の夢よりもなおも短いものでした。たちまちにこの悲しみに遭う契りのほどこそ哀れでした。梢の露木の下の雫、後れ先立つ道こそ、悲しいものと聞いていたものの、浪の上、煙の底に、沈み焦がれる別れの悲しみを、どうすればよいものかと、互いに名残りを惜しみつつ、伏して泣くほかありませんでした。


続く


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by santalab | 2016-03-10 07:37 | 太平記 | Comments(0)

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