Santa Lab's Blog


「太平記」越中守護自害の事付怨霊の事(その4)

その幽魂亡霊いうこんばうれい、なほもこの地に留まつて夫婦執着しふぢやく妄念まうねんを遺しけるにや、この頃越後より上る舟人ふなうど、この浦を過ぎけるに、にはかに風向かひ波荒かりける間、いかりを下ろして沖に舟を留めたるに、夜更け浪しづまつて、松涛しようたうの風、芦花ろくわの月、旅泊のていよろづ心すごき折節をりふし、遥かの沖に女の声して泣き悲しむ音しけり。これを怪しと聞きたるところに、またなぎさの方に男の声して、「その舟ここへ寄せてべ」と、声々にぞ呼ばはりける。舟人止む事を不得して、舟を渚に寄せたれば、いと清げなる男三人、「あの沖まで便船申さん」とて、屋形にぞ乗りたりける。舟人これを乗せて沖津塩合おきつしほあひに舟を差し留めたれば、この三人の男舟より下りて、漫々たる浪の上にぞ立つたりける。しばらくあれば、年十六七じふろくしち二十ばかりなる女房の、色々のきぬに赤き袴踏みくくみたるが、三人浪の底より浮び出でて、その事となく泣きしほれたる様なり。男よにむつましげなる気色にて、相互あひたがひに寄り近付かんとするところに、猛火みやうくわにはかに燃え出でて、ほのほ男女の中を隔てければ、三人の女房は、妹背いもせの山の中々に、思ひ焦がれたるていにて、浪の底にしづみぬ。男はまた泣く泣く浪の上を泳ぎかへつて、二塚ふたつづかの方へぞ歩み行きける。




その幽魂亡霊は、なおもこの地に留まって夫婦執着の妄念として残ったのでしょうか、その頃越後より上る舟人が、この浦を過ぎようとすると、にわかに向かい風となって波が荒くなったので、錨を下ろして沖に舟を留めると、夜更けて浪は静まって、松涛([松に風の吹く音を波にたとえた語])の風、芦花([蘆の花穂])の月、旅泊の有様、どれも心に染むところに、遥かの沖に女の声がして泣き悲しむ声が聞こえました。これを不思議だと聞いていると、また渚の方から男の声がして、「その舟をここへ寄せてくれ」と、声々に叫びました。舟人は仕方なく、舟を渚に寄せると、たいそう美しい身なりをした男が三人、「あの沖まで乗せてほしい」と申して、屋形に乗りました。舟人は男たちを乗せて沖津の塩合に舟を差し留めると、この三人の男は舟より下って、漫々たる浪の上に立ちました。しばらくすると、年二十ばかりなる女房が、色々の衣に赤い袴を踏み含み([衣や袴などを足で踏むほどに裾長に着る])、三人浪の底より浮び出て、どことなく泣き萎れているようでした。男はまこと懐かしそうに見て、互いに近付こうとするところに、猛火がにわかに燃え上がり、炎が男女の間を隔てると、三人の女房は、妹背山([和歌山県伊都郡かつらぎ町を流れる紀ノ川の北岸の背山と南岸の妹山])のように、思い焦がれた様子で、浪の底に沈んで行きました。男はまた泣く泣く浪の上を泳ぎ帰って、二塚城(現富山県高岡市二塚)の方へ歩いて行きました。


続く


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by santalab | 2016-03-12 09:05 | 太平記 | Comments(0)

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