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「太平記」僧徒六波羅召捕事付為明詠歌の事(その2)

この中に忠円ちゆうゑん僧正は、顕宗けんしゆう碩徳せきとくなりしかば、調伏の法行うたりと云ふ、その人数にんじゆには入らざりしかども、これもこの君に近付き奉つて、山門の講堂かうだう供養くやう以下いげの事、よろづぢきまうし沙汰せられしかば、衆徒しゆと与力の事、この僧正よも存ぜられぬ事は非じとて、同じく召し取られ給ひにけり。これのみならず、智教ちけう教円けうゑん二人ににんも、南都より召し出だされて、同じく六波羅へ出で給ふ。また二条にでう中将ちゆうじやう為明ためあきらきやうは、歌道かだうの達者にて、月の夜雪のあした褒貶はうへん歌合うたあはせ御会ごくわいに召されて、宴にはんべる事隙なかりしかば、指したる嫌疑の人にてはなかりしかども、叡慮の趣きをたづね問はん為に召し取られて、斉藤なにがしにこれをあづけらる。五人の僧たちの事は、元より関東へ召し下して、沙汰あるべき事なれば、六波羅にて尋ねきはむるに及ばず。為明ためあきらきやうの事に於いては、先づ京都にて尋ね沙汰あつて、白状はくじやうあらば、関東へ註進すべしとて、検断におほせて、すでに嗷問がうもんの沙汰に及ばんとす。




この中の忠円僧正は、顕宗(浄土宗)の碩徳([高徳の僧])でしたので、調伏の法を行ったという、その人数には入っていませんでしたが、忠円もまたこの君(第九十六代後醍醐天皇)に近付いて、山門の講堂供養以下のこと、万事直に申し沙汰されていましたので、衆徒([僧])が(後醍醐天皇に)与力したことを、この僧正がよもや知らぬはずがないと、同じく捕らえられたのでした。忠円ばかりでなく、智教・教円二人も、南都より召し出されて、同じく六波羅探題へ連行されました。また二条中将為明卿(二条為明ためあき)は、歌道の達者で、月の夜雪の朝、褒貶([世間の評判])の歌合の御会に呼ばれて、宴に侍ること隙もないほどでしたので、これといって嫌疑ある人ではありませんでしたが、叡慮の趣きを訊ね問うために召し取られて、斉藤某に預けられました。五人の僧たちについては、元より関東へ召し下して、沙汰あるべきことでしたので、六波羅探題で糾問することはありませんでした。ただし為明卿については、まず京都で尋問し、白状すれば、関東へ註進すべきと、検断に命じて、拷問の沙汰に及ぼうとしていました。


続く


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by santalab | 2016-03-12 18:01 | 太平記 | Comments(0)

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