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「太平記」金剛山寄手ら被誅事付佐介貞俊事(その4)

七月九日、阿曾の弾正少弼せうひつ・大仏右馬の助・江馬遠江とほたふみかみ・佐介安芸の守・並びに長崎四郎左衛門、かれこれ十五人じふごにん阿弥陀峯あみだがみねにて被誅けり。この君重祚ちようその後、諸事のまつりごと未だ被行さきに、刑罰を欲しいままにせられん事は、非仁政とて、潛かにこれを被切しかば、首を被渡までの事に及ばず、面々の屍骸しがい便宜びんぎの寺々に被送、後世菩提をぞ被訪ける。二階堂出羽ではの入道道蘊だううんは、朝敵の最一さいいち、武家の輔佐ふさたりしかども、賢才けんさいの誉れ、兼ねてより叡聞に達せしかば、召し仕はるべしとて、死罪一等を許され、懸命の地に安堵して居たりけるが、また陰謀のくはだてありとて、同年の秋のすゑに、つひに死刑に被行てげり。




七月九日に、阿曾弾正少弼(北条治時はるとき)・大仏右馬助(大仏高直おさらぎたかなほ)・江馬遠江守・佐介安芸守(北条時俊ときとし)・並びに長崎四郎左衛門(長崎高貞たかさだ。長崎円喜ゑんきの子)、かれこれ十五人が阿弥陀峯(現京都市東山区)で誅殺されました。この君(第九十六代後醍醐天皇)は重祚の後、諸事の政を行う前に、刑罰を思うままになすこと、仁政にあらずと、潛かに彼らを斬ったので、首を渡すこともなく、面々の屍骸を便宜([所縁])の寺々に送って、後世菩提を弔わせました。二階堂出羽入道道蘊(二階堂貞藤さだふぢ)は、朝敵の最一、武家の輔佐でしたが、賢才の誉れは、かねてより叡聞に達していましたので、召し使うべしと、死罪一等を許されて、懸命([一所懸命]=[武士が、生活のすべてをその所領にかけること])の地に安堵していましたが、また陰謀の企てありと、同年の秋の末に、終に死刑になりました。


続く


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by santalab | 2016-03-17 07:34 | 太平記 | Comments(0)

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