それ日本開闢の始めを尋ぬれば、二儀すでに分かれ三才やうやく顕れて、
人寿二万歳の時、伊弉諾・伊弉冊の二人の尊、遂に妻神夫神となつて天の下に天下り、一女三男を生み給ふ。一女と申すは天照太神、三男と申すは月神・蛭子・素盞烏の尊なり。第一の御子天照太神この国の主となつて、伊勢の国御裳濯川の辺、神瀬下津岩根に跡を垂れ給ふ。ある時は垂迹のなつて、番々出世の化儀を調へ、ある時は本地の神に帰つて、塵々刹土の利生をなし給ふ。これすなはち迹高本下の成道なり。
日本開闢の始まりは、二儀([天と地])が分かれ三才([世界を形成するものとしての天・地・人])が現れて、人寿二万歳の時(人間の寿命が二万歳に減ると五濁=世の中の穢れ。の現象があらわれるという)、伊弉諾・伊弉冊の二人の尊が、妻神夫神となって、天の下に天下り、一女三男を生みました。一女と申すのは天照大神、三男と申すは月神(月読命)・蛭子(水蛭子)・素盞烏尊でした。第一の御子天照大神がこの国の主となって、伊勢国御裳濯川(五十鈴川)の辺、神瀬下津岩根に跡を垂れられました([仏や菩薩が衆生を救うため、仮に神の姿になって現れる])。ある時は垂迹の姿となり、番々([順次])出世([俗世間を離れて仏道に入ること])の化儀([仏が衆生を教化し導く方法])を致し、ある時は本地の神に戻って、塵々刹土(穢れた地)において利生([仏神が人々を救済し、悟りに導くこと])をなしました。これはつまり迹高本下(垂迹=仏=高、本地=神=下)の成道([仏教の修行者や求道者が修行を積んだ結果、悟りを開くこと])のためでした。
(続く)