また布にて縫ひたる香の袈裟あり。これは上人御身を不放、長時に懸けさせ給ひけるが、香の煙にすすけたるを御覧じて、「哀れ洗はばや」と被仰ける時、常随給仕の乙護法、「これを洗うて参り候はん」と申して、遥かに西天を指して飛び去りぬ。しばらくあつて、この袈裟をば虚空に懸け乾す、あたかも一片の雲の夕日に映ずるが如し。上人護法を呼びて、「この袈裟をば如何なる水にて洗ひたりけるぞ」と問はせ給へば、護法、「日本の内には可然清冷水候はで、天竺の無熱池の水にて濯いで候ふなり」と、被答申したりし御袈裟なり。生木化仏の観世音、『稽首生木如意輪、能満有情福寿願、亦満往生極楽願、百千倶胝悉所念』と、天人降下供養し奉る像なり。毘首羯磨が作りし五大尊、これのみならず、法華読誦の砌には、不動・毘沙門の二童子に、形を現じて仕へ給ふなり。
また布で縫った香袈裟([香色=黄みがかった明るい灰黄赤色。に染めた袈裟])がありました。これは性空上人が身を離さず、長時懸けておりましたが、香色が煙にすすけたのを見て、「洗わねばの」と申された時、常随給仕の乙護法([仏法を守護するために童子の姿をして現れる鬼神])が、「これを洗って参ります」と申して、遥かに西天を指して飛び去りました。しばらくして、この袈裟を虚空に懸け乾すと、まるで一片の雲が夕日に映えるようでした。性空上人は乙護法を呼んで、「この袈裟を如何なる水で洗ったのか」と訊ねると、乙護法は、「日本の内にはしかるべき清冷水はございませんので、天竺の無熱池([阿耨達池]=[ヒマラヤの北にあるという想像上の池。岸は金・銀など四宝よりなり、阿耨達竜王が住み、四方に河が流れ出して、人間のいる贍部洲 を潤すという])の水で濯ぎました」と、答えた袈裟でした。生木化仏の観世音は、『稽首([頭を地に着くまで下げてする礼])します生木の如意輪よ、十分有情([衆生])の福・寿の願を満たし、また極楽に往生せん願を満たされますよう、百千倶胝([倶胝]=[数の単位で、一千万])の心の念ずるところなれば』と、天人が降下し供養した像でした。毘首羯磨([帝釈天の侍臣で、細工物や建築をつかさどる神])が作った五大尊([不動明王を中心とした五大明王])、これのみならず、法華読誦の折には、不動・毘沙門の二童子が、姿を現わして性空上人に仕えたといいます。
(続く)