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「太平記」日本朝敵の事(その3)

されば天照太神あまてらすおほんがみよりこの方、継体けいたいの君九十六代、その間に朝敵てうてきとなつて亡びし者を数ふれば、神日本磐余予彦天皇かんやまといはあれひこあめすべらみのみこと御宇ぎよう天平てんぴやう四年に紀伊の国名草郡なくさのこほりに二丈余の蜘蛛あり。足手長くして力人に超えたり。綱を張る事数里に及んで、往来の人を残害ざんがいす。しかれども官軍くわんぐん勅命をかうむつて、くろがねの網を張り、鉄湯てつたうを沸かして四方しはうより攻めしかば、この蜘蛛遂に殺されて、その身つだつだにただれにき。また天智天皇てんわうの御宇に藤原千方ちかたと言ふ者あつて、金鬼きんき・風鬼・水鬼・隠形鬼おんぎやうきと言ふ四つの鬼を使へり。金鬼はその身堅固にして、矢を射るに立たず。風鬼は大風を吹かせて、敵城を吹き破る。水鬼は洪水を流して、敵を陸地ろくちできす。隠形鬼はその形を隠して、にはかに敵を取りひしく。かくの如きの神変じんべん、凡夫の智力を以つて可防あらざれば、伊賀・伊勢の両国、これが為に妨げられて王化に従ふ者なし。ここに紀朝雄ともをと言ひける者、宣旨をかうむつてかの国に下り、一首の歌を詠みて、鬼の中へぞ送りける。

草も木も 我大君の 国なれば いづくか鬼の 棲かなるべき

四つの鬼この歌を見て、「さては我ら悪逆無道あくぎやくぶだうの臣にしたがつて、善政有徳うとくの君を背き奉りける事、天罰遁るるところなかりけり」とてたちまちに四方しはうに去つて失せにければ、千方ちかた勢ひを失うてやがて朝雄ともをに討たれにけり。




こうして天照大神よりこの方、継体の君九十六代、の間に朝敵となって亡んだ者を数えれば、神日本磐余予彦天皇(初代神武天皇)の御宇天平四年に紀伊国の名草郡(現和歌山県和歌山市)に二丈余の蜘蛛がいました。足手は長く力は人に超えていました。綱を数里に張って、往来の人を残害しました。けれども官軍が勅命を蒙って、鉄の網を張り、鉄湯を沸かして四方より攻めたので、この蜘蛛は遂に殺されて、その身はずたずたに刻まれました。また天智天皇(第三十八代天皇)の御宇に藤原千方と言う者がいて、金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼と言う四人の鬼を使っていました。金鬼はその身が堅く、射る矢が立ちませんでした。風鬼は大風を吹かせて、敵城を吹き破りました。水鬼は洪水を起こして、敵を陸地に溺れさせました。隠形鬼はその姿を隠して、たちまち敵を捕らえました。このような神変([人知でははかり知ることのできない、不可思議な変異])を、凡夫の智力で防ぐことはできませんでしたので、伊賀・伊勢の両国は、このために王化に従う者はいませんでした。ここに紀朝雄と言う者が、宣旨を蒙ってかの国に下り、一首の歌を詠んで、鬼の中へ投げ入れました。

草も木もわれら大君の国であるぞ。どこに鬼の棲家があるというのだ。

四人の鬼はこの歌を見て、「我らは悪逆無道の臣に従い、善政有徳の君に背いた、とうてい天罰を遁れることはできぬ」とたちまちに四方に去って失せました、千方は勢いを失ってやがて朝雄(紀朝雄)に討たれました。


続く


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by santalab | 2016-03-26 09:00 | 太平記 | Comments(0)

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