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「太平記」書写山行幸の事付新田注進の事(その4)

二十八日に法華山へ行幸ぎやうがう成つて、御巡礼あり。これより龍駕りようがを被早て、晦日つごもり兵庫ひやうご福厳寺ふくごんじと云ふ寺に、儲餉ちよしやうの在所を点じて、しばらく御坐ありける処に、その日赤松入道父子四人、五百余騎を率して参向さんかうす。竜顔りようがん殊にうるはしくして、「天下草創さうさうの功偏へになんぢら贔屓の忠戦に依れり。恩賞おんしやうは各々望みに可任」と叡感あつて、禁門の警固に奉侍ぶしせられけり。この寺に一日御逗留とうりうあつて、供奉ぐぶの行列還幸の儀式を被調ける処に、その日の午の刻に、羽書うしよを首に懸けたる早馬三騎、門前まで乗り打ちにして、庭上に羽書を捧げたり。諸卿驚いて急ぎひらいてこれを見給へば、新田小太郎義貞の許より、相摸入道にふだう以下いげの一族従類じゆうるゐら、不日に追討つゐたうして、東国すでに静謐せいひつの由を注進せり。西国さいこく・洛中の戦ひに、官軍くわんぐん勝つに乗つて両六波羅りやうろくはらを雖責落、関東くわんとうを被責事は、由々しき大事成るべしと、叡慮を被回ける処に、この注進到来たうらいしければ、主上しゆしやうを始めまゐらせて、諸卿一同に猶預ゆよ宸襟しんきんを休め、欣悦称嘆きんえつしようたんを被尽、すなはち、「恩賞は宜しく依請」と被宣下て、先づ使者三人に各々勲功の賞をぞ被行ける。




(第九十六代後醍醐天皇は)五月二十八日には法華山(現兵庫県加西市にある一乗寺)に行幸されて、巡礼なさいました。これより龍駕を早めて、晦日は兵庫の福厳寺(現兵庫県神戸市兵庫区にある寺院)という寺に、儲餉(会食)の在所を設けて、しばらくおられるところに、その日赤松入道(赤松則村のりむら)父子四人(赤松範資のりすけ、赤松貞範さだのり、赤松則祐のりすけ?)が、五百余騎を率して参りました。竜顔とりわけ麗わしくして、「天下草創の功はひとえにお主らが味方に付いて忠戦をなしたからである。恩賞は各々望みに任せるぞよ」と叡感あて、禁門の警固に奉侍しました。(後醍醐天皇は)この寺に一日逗留されて、供奉の行列還幸の儀式を整えるところに、その日の午の刻([午前十二時頃])に、羽書([急を要する檄文げきぶん=自分の考えや主張を述べて大衆に行動を促す文書])を首に懸けた早馬三騎が、門前まで乗り打ち([馬やかごに乗ったまま、貴人・神社・仏閣などの前を通り過ぎること])にして、庭上に羽書を捧げました。諸卿は驚いて急ぎ開いて見れば、新田小太郎義貞(新田義貞)の許より、相摸入道(鎌倉幕府第十四代執権、北条高時たかとき)以下の一族従類らを、たちまち追討して、東国はすでに静まったことを注進したものでした。西国・洛中の戦いで、官軍が勝つに乗って両六波羅(北方、北条仲時なかとき。南方、北条時益ときます)を攻め落としましたが、関東を攻めることは、由々しき大事となろうと、叡慮を廻らすところに、この注進が到来したので、主上(後醍醐天皇)をはじめ、諸卿一同に猶預([疑慮])の宸襟を休め、欣悦称嘆(喜悦嘆称)を尽くし、たちまち、「恩賞は請うままに」と宣下されて、まず使者三人に各々勲功の賞を下されました。


続く


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by santalab | 2016-03-27 08:27 | 太平記 | Comments(0)

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