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「太平記」日本朝敵の事(その5)

この外大石おほいしの山丸・大山おほやま王子わうじ大友おほとも真鳥まとり・守屋の大臣・蘇我の入鹿・豊浦とよらの大臣・山田の石川いしかは・左大臣長屋・右大臣豊成とよなり・伊予の親王しんわう氷上ひかみ川継かはつぎ・橘の逸勢はやなり文屋ふんやの宮田・江美の押勝おしかつ井上ゐがみ皇后くわうごう早良さうらの太子・大友の皇子・藤原ふぢはら仲成なかなり天慶てんぎやう純友すみとも康和かうわ義親よしちか宇治うぢ悪左府あくさふ六条ろくでう判官はうぐわん為義ためよし・悪右衛門うゑもんかみ信頼のぶより・安陪の貞任さだたふ宗任むねたふ・清原の武衡たけひら・平相国清盛・木曽の冠者くわんじや義仲・阿佐原あさはら八郎はちらう為頼ためより時政ときまさ九代の後胤高時たかとき法師に至るまで、朝敵てうてきとなつて叡慮を悩まし仁義を乱る者、皆身を刑戮けいりくの下に苦しめ、かばねを獄門の前に晒さずと言ふ事なし。されば尊氏たかうぢきやうも、この春とう八箇国の大勢を率して上洛しやうらくし給ひしかども、ひたすら朝敵たりしかば数箇度すかどの合戦に打ち負けて、九州を指して落ちたりしが、この度はその先非せんぴを悔いて、一方の皇統を立て申して、征罰を院宣に任せられしかば、威勢の上に一つの理出で来て、大功たちまちにならんずらんと、人皆色代しきたい申されけり。




このほか大石山丸・大山王子(大山守皇子)・大友真鳥・守屋大臣(物部守屋。物部守屋の変)・蘇我入鹿(乙巳いつしの変)・豊浦大臣(蘇我蝦夷えみし。乙巳の変)・山田石川(蘇我倉山田石川麻呂。乙巳の変)・左大臣長屋(長屋王)・右大臣豊成(藤原豊成)・伊予親王・氷上川継(氷上川継の乱(782))・橘逸勢(橘逸勢)・文屋宮田(文室宮田麻呂)・江美押勝(恵美押勝=藤原仲麻呂。藤原仲麻呂の乱(764))・井上皇后(井上内親王)・早良太子(早良親王。藤原種継暗殺事件(785))・大友皇子(壬申の乱(672))・藤原仲成(藤原薬子くすこの兄。薬子の変)・天慶(承平天慶の乱)の純友(藤原純友)・康和(源義親の乱)の義親(源義親)・宇治悪左府(藤原頼長よりなが。保元の乱)・六条判官為義(源為義。保元の乱)・悪右衛門督信頼(藤原信頼。平治の乱)・安陪貞任(前九年の役)・宗任・清原武衡(後三年の役)・平相国清盛(平清盛)・木曽冠者義仲(木曽義仲)・阿佐原八郎為頼(浅原為頼。第九十二代伏見天皇を暗殺しようと宮中に乱入した。浅原事件)・時政(北条時政。鎌倉幕府初代執権)九代の後胤高時法師(北条高時。鎌倉幕府第十四代執権)に至るまで、朝敵となって叡慮を悩まし仁義を乱す者は、皆身を刑戮([死刑に処すること])の下に苦しめ、屍を獄門の前に晒さぬことはありませんでした。なれば尊氏卿(足利尊氏)も、この春東八箇国の大勢を率して上洛しましたが、朝敵となって数箇度の合戦に打ち負け、九州を指して落ちて行きました、この度はその先非を悔い、一方の皇統(北朝)を立て、征罰を(北朝初代光厳院の)院宣によるものとなしたので、威勢の上に一つの道理が立ち、大功はたちまちに成し遂げられることと、人は皆色代([お世辞])を申しました。


続く


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by santalab | 2016-03-28 08:09 | 太平記 | Comments(0)

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