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「太平記」北国下向勢凍死事(その2)

河野・土居・得能は三百騎にて後陣ごぢんに打ちけるが、けんくまにて前の勢に追ひ遅れ、行くべき道を失うて、塩津しほづの北にり居たり。佐々木の一族と、熊谷くまがえと、取り籠めて討たんとしける間、相懸かりに懸かつて、皆差し違へんとしけれども、馬は雪にこごへて働かず、兵は指を落として弓を控へ得ず、太刀のつかをも握り得ざりける間、腰の刀を土につかへ、うつ伏しに貫かれてこそ死にけれ。千葉の介貞胤さだたねは五百余騎にて打ちけるが、東西暮れて降る雪に道を踏み迷ひて、敵の陣へぞ迷ひ出でたりける。進退歩みを失ひ、前後の御方に離れければ、一所に集まつて自害をせんとしけるを、尾張をはりかみ高経たかつねの許より使ひを立てて、「弓矢の道今はこれまでにてこそ候へ。曲げて御方へ出でられ候へ。この間の義をば身に替へても可申宥」。慇懃いんぎんにのたまひ遣はされければ、貞胤心ならず降参して高経の手にぞしよくしける。




河野・土居・得能は三百騎で後陣に付いていましたが、見の曲(嶮の曲?)で前の勢に遅れ、行くべき道を失って、塩津(現滋賀県長浜市)の北で足を止めました。佐々木一族と、熊谷が、取り籠めてこれを討とうとしたので、相懸かりに懸かって、皆刺し違えようとしましたが、馬は雪に凍えて動かず、兵は指を落として弓を引き得ず、太刀の柄も握ることができなかったので、腰の刀を地に突いたまま、うつ伏しに貫かれて死にました。千葉介貞胤(千葉貞胤)は五百余騎で馬を打っていましたが、東西暮れて降る雪に道を踏み迷い、敵陣に迷い出ました。進退歩みを失い、前後の味方と離れて、一所に集まって自害をしようとするところに、尾張守高経(斯波高経)の許より使いを立てて、「弓矢の道今はこれまででございます。曲げて味方に出られよ。今までの義をこの身に替えても申し宥めまする」。と慇懃に申し遣わしたので、貞胤は心ならずも降参して高経の手に属しました。


続く


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by santalab | 2016-03-30 07:33 | 太平記 | Comments(0)

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