Santa Lab's Blog


「太平記」吉野城軍事(その3)

さらばとて、案内知つたる兵百五十人ひやくごじふにんすぐつて、その日の暮れほどより、金峯山きんぶせんまはつて、岩を伝ひ谷を上るに、案の如く山のけはしきを頼みけるにや、ただここかしこの梢に旗ばかりを結ひ付け置いて防ぐべく兵一人もなし。百余人のつはものども、思ひのままに忍び入つて、木の下いはの陰に、弓矢を臥せて、兜を枕にして、夜の明くるをぞ待つたりける。合図あひづの頃にもなりにければ、大手おほて五万余騎、三方さんぱうより押し寄せて攻め上る。吉野の大衆だいしゆ五百余人、責め口に下り合つて防ぎ戦ふ。寄せ手も城の内も、互ひに命を惜しまず、追ひ上せ追ひ下ろし、火を散らしてぞ戦うたる。かかるところに金峯山きんぶせんよりまはりたる、搦め手のつはもの百五十人、愛染宝塔あいぜんはうだふより下り降つて、在々所々に火を懸けて、ときの声をぞ上げたりける。吉野の大衆だいしゆ前後の敵を防ぎ兼ねて、あるひはみづから腹を掻き切つて、猛火みやうくわの中へ走り入つて死するもあり、あるひは向かふ敵に引つ組んで、差し違へて共に死するもあり。思ひ思ひに討ち死にをしけるほどに、大手の堀一重ひとへは、死人に埋まりて平地ひらちになる。




ならばと、案内知った兵百五十人を選って、その日の暮れほどより、金峯山に廻って、岩を伝い谷を上ると、思った通り山の険しさを頼みにしたのか、ただここかしこの梢に旗ばかりを結い付け置いて防ぐ兵は一人もいませんでした。百余人の兵どもは、思い通り忍び入ると、木の下岩の陰に、弓矢を隠して、兜を枕にして、夜が明けるのを待ちました。合図の頃になると、大手([敵の正面を攻撃する軍勢])五万余騎が、三方より押し寄せて攻め上りました。吉野の大衆([僧])五百余人は、責め口に下り合って防ぎ戦いました。寄せ手も城の内も、互いに命を惜しまず、追い上せ追い下ろし、火を散らして戦いました。そうこうするところに金峯山より廻っていた、搦め手([城の裏門や敵陣の後ろ側を攻める軍勢])の兵百五十人が、愛染宝塔(愛染宝塔院。かつて現奈良県吉野郡吉野町の青根ヶ峰にあった安禅寺)より下り降って、在々所々に火を懸けて、鬨の声を上げました。吉野の大衆は前後の敵を防ぎ兼ねて、あるいは自ら腹を掻き切って、猛火の中へ走り入って死ぬ者もあり、あるいは向かう敵と引っ組んで、刺し違えて共に死ぬ者もいました。思い思いに討ち死にするほどに、大手の堀一重は、死人で埋まって平地になりました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-03-31 07:33 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」北国下向勢凍死事(その3)      「太平記」吉野城軍事(その2) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
すみません、日本語の起源..
by 春日 at 21:17
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧