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「太平記」義貞北国落事(その1)

明くれば十月十日の巳の刻に、主上しゆしやう腰輿えうよに召されて今路いまみちを西へ還幸くわんかうなれば、春宮とうぐう竜蹄りようていに召され、戸津とづを北へ行啓ぎやうけいなる。還幸の供奉にて京都へ出でける人々には、吉田の内大臣定房さだふさ万里小路までのこうぢ大納言宣房のぶふさ御子みこ左の中納言為定ためさだ・侍従の中納言公明きんあきら坊門ばうもん宰相さいしやう清忠きよただ勧修寺くわんしゆじの中納言経顕つねあき・民部卿光経みつつね左中将さちゆうじやう藤長ふぢなが・頭の弁範国のりくに、武家の人々には、大館おほたち左馬のかみ氏明うぢあきら・江田兵部ひやうぶ少輔せう行義ゆきよし・宇都宮治部ぢぶの大輔公縄きんつな・菊池肥後の守武俊たけとし・仁科信濃の守重貞しげさだ・春日部左近の蔵人家縄いへつな・南部甲斐かひの守為重ためしげ・伊達蔵人家貞いへさだ・江戸民部のじよう景氏かげうぢ・本間孫四郎まごしらう資氏すけうぢ・山徒の道場坊助注記じよちゆうぎ祐覚いうがく都合つがふその勢七百余騎、腰輿の前後に相したがふ。




夜が明ければ(建武三年(1336))十月十日の巳の刻([午前十時頃])に、主上(第九十六代後醍醐天皇)は腰輿([手輿])に召されて今路([京七口である荒神口から、近江に至る街道])を西へ還幸されました、春宮(恒良つねよし親王)は竜蹄([名馬])に召され、戸津(現京都府八幡市)を北に行啓されました。還幸の供奉に京都に参る人々には、吉田内大臣定房(吉田定房)・万里小路大納言宣房(万里小路宣房)・御子左中納言為定(二条為定。御子左家)・侍従の中納言公明(三条公明)・坊門宰相清忠(坊門清忠)・勧修寺中納言経顕(勧修寺経顕)・民部卿光経(九条光経)・左中将藤長(甘露寺藤長)・頭弁範国(今川範国)、武家の人々には、大館左馬頭氏明(大舘氏明)・江田兵部少輔行義(江田行義)・宇都宮治部大輔公縄(宇都宮公綱)・菊池肥後守武俊(菊池武俊)・仁科信濃守重貞(仁科重貞)・春日部左近蔵人家縄(春日部家縄)・南部甲斐守為重(南部為重)・伊達蔵人家貞(伊達家貞)・江戸民部丞景氏(江戸景氏?)・本間孫四郎資氏(本間重氏しげうぢ)・山徒の道場坊助注記祐覚(覚応坊)、都合その勢七百余騎が、腰輿の前後に従いました。


続く


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by santalab | 2016-04-02 08:46 | 太平記 | Comments(0)

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