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「太平記」義貞北国落事(その3)

この外妙法院めうほふゐんの宮は御舟に被召て、遠江とほたふみの国へ落ちさせ給ふ。阿曾の宮は山臥の姿に成つて吉野の奥へ忍ばせ給ふ。四条しでうの中納言隆資たかすけきやうきの国へ下り、中院なかのゐん少将せうしやう定平さだひら河内かはちの国へ隠れ給ふ。その有様、ひとへにただ歌舒翰かじよかん安禄山あんろくさんに打ち負けて、玄宗しよくの国へ落ちさせ給ひし時、公子・内宮ないきゆう、悉く、あるひは玉趾ぎよくしすあしにして剣閣の雲に蹈み迷ひ、あるひは衣冠をけがして野径やけいの草に逃げ隠れし昔の悲しみに相似たり。昨日一昨日までも、聖運遂に開けば、錦を着て古郷こきやうへ帰り、知らぬ里、見ぬ浦山の旅宿をも語り出ださば、中々に憂かりし節も悲しきも、忘れ形見と成りぬべし、心々の有様に身を慰めてありつるに、君臣父子万里に隔たり、兄弟夫婦十方に別れ行けば、あるひは再会の期なき事を悲しみ、あるひは一身の置き処なき事を思へり。今も逆旅げきりよの中にして、重ねて行き、行くも敵の陣帰るも敵の陣なれば、誰か先に討たれてあはれと聞かれずらん、誰か後に死して、亡き数を添へんずらんと、ことばに出でては云はねども、心に思はぬ人はなし。「南翔北嚮、難附寒温於春鴈。東出西流、只寄贍望於暁月」。江相公えのしやうこうの書きたりし、別れに送る筆の迹、今の涙と成りにけり。




このほか妙法院宮(宗良むねよし親王)は舟に召されて、遠江国へ落ちて行きました。阿蘇宮(懐良かねよし親王?)は山臥の姿になって吉野の奥へ忍ばれました。四条中納言隆資卿(四条隆資)は紀伊国へ下り、中院少将定平(中院定平)は河内国へ隠れました。その有様は、ひたすら歌舒翰(哥舒翰。唐の将軍。安史の乱で敗北し、捕らえられ殺害されたらしい)が安禄山(唐代の軍人、大燕国皇帝)に打ち負けて、玄宗(唐の第九代皇帝)が蜀国へ落ちた時、公子([君主の子])・内宮(後宮)は、残らず、あるいは玉趾を裸足にして剣閣の雲に踏み迷い、あるいは衣冠を汚して野径([野路])の草に逃げ隠れた昔の悲しみに似たものでした。昨日一昨日までは、聖運開いて、錦を着て故郷に帰り、知らぬ里、見ぬ浦山の旅宿を語れば、つらさも悲しさも、忘れ形見となるであろうと、心々に身を慰めていましたが、君臣父子は万里を隔て、兄弟夫婦は十方に別れて行構成ました、あるいは再会の機会のないことに悲しみ、あるいは一身の置き所もないことに思い煩いました。逆旅の中にして、旅を重ねて、行くも敵の陣帰るも敵の陣でしたので、誰が先に討たれて哀れと聞くことであろう、誰が後に死んで、亡き数を添えることになろうかと、言葉に出しては言いませんでしたが、心に思わぬ人はいませんでした。「南に翔けり北に向かう、春の鴈に寒温の音連れを託すことも叶わない。東に出ては西に流れる、暁の月にただ望みを寄せるほかはない」。江相公(大江朝綱あさつな)が書いた、餞別の筆の跡は、今の涙となりました。


続く


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by santalab | 2016-04-04 08:26 | 太平記 | Comments(0)

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