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「太平記」還幸供奉人々被禁殺事(その1)

還幸くわんかう已に法勝寺辺ほつしようじへんまで近付きければ、左馬のかみ直義ただよし五百余騎にて参向さんかうし、先づ三種さんじゆの神器を当今たうぎんの御方へ可被渡由を被申ければ、主上しゆしやう兼ねてより御用意ありける似せ物を取り替へて、内侍の方へぞ被渡ける。その後主上をば花山院くわざんのゐんへ入れまゐらせて、四門を閉ぢて警固を据へ、降参の武士をば大名だいみやうどもの方へ一人づつあづけて、召人めしうとていにてぞ被置ける。可斯とだに知りたらば、義貞朝臣と諸共に北国へ落ちて、ともかうも成るべかりけるものをと、後悔すれども甲斐ぞなき。じふ余日を経て後、菊池肥後のかみは、警固のゆるくありける隙を得て本国へ逃げ下りぬ。また宇都宮は、放し召人の如くにて、逃げぬべき隙も多かりけれども、出家の体に成つていたづらに向かひ居たりけるを、にくしと思ふ者やたりけん、門の扉に山雀やまがらに描き、その下に一首の歌をぞ書きたりける。

山がらが さのみもどりを うつのみや 都に入りて 出でもやらぬは




還幸すでに法勝寺(かつて現京都市左京区にあった寺院)辺まで近付けば、左馬頭直義(足利直義。足利尊氏の弟)が五百余騎で参向し、まず三種の神器を当今(北朝第二代光明天皇)の方へ渡される由を申すと、主上は予ねてより用意しておいた偽物に取り替えて、内侍の方へ渡されました。その後主上を花山院(現京都市上京区)へ入れ参らせて、四門を閉じて警固を据え置き、降参の武士を大名どもの方へ一人ずつ預けて、まるで囚人のように置きました。こうなるものと知っていたならば、義貞朝臣(新田義貞)と共に北国へ落ちて、ともかくもなるべきものをと、後悔しましたがどうしようもないことでした。十余日を経て後、菊池肥後守(菊池武光たけみつ)は、警固が緩くなった隙を見て本国へ逃げ下りました。また宇都宮(宇都宮公綱きんつな)は、放し囚人([一時釈放の囚人])のようでしたので、逃げる隙も多くありましたが、出家の体になってただ仏に向かって過ごしていました、これを憎しと思う者がしたのか、門の扉に山雀([スズメ目シジュウカラ科の小鳥])を絵に描き、その下に一首の歌を書きました。

山雀が翻筋斗もんどりを打つ([とんぼ返りする])ように、宇都宮(公綱)は都に入って出て行けぬとはなんとも情けないことよ。


続く


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by santalab | 2016-04-05 07:29 | 太平記 | Comments(0)

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