かの殿は、「この子をやがて遣らむ」と思しけれど、人目多くて便なければ、殿に帰り給ひて、またの日、ことさらにぞ出だし立て給ふ。睦ましく思す人の、事々しからぬ二、三人、送りにて、昔も常に遣はしし随身添へ給へり。人聞かぬ間に呼び寄せ給ひて、「あこが亡せにし姉の顔は、思ゆや。今は世に亡き人と思ひ果てにしを、いと確かにこそ、物し給ふなれ。疎き人には聞かせじと思ふを、行きて尋ねよ。母に、いまだしきに言ふな。中々驚き騒がむほどに、知るまじき人も知りなむ。その親の御思ひのいとほしさにこそ、かくも尋ぬれ」と、まだきにいと口固め給ふを、幼き心地にも、姉弟は多かれど、この君の容貌をば、似るものなしと思ひ染みたりしに、亡せ給ひにけりと聞きて、いと悲しと思ひ渡るに、かくのたまへば、うれしきにも涙の落つるを、恥づかしと思ひて、「を、を」と荒らかに聞こえ居たり。
大将殿(薫)は、「この子(小君。浮舟の弟)を今すぐ遣わそう」と思いましたが、人目が多くて具合悪く、殿に帰って、次の日、今日こそはと行かせることにしました。親しい者で、目立たないほどの者を二、三人、見送りに付けて、昔からの髄身([警護の者])も付けました。人に知られない間に小君を呼び寄せて、「お前の亡くなった姉の顔は、覚えているか。今は世に亡き人と諦めていたが、確かに、生きていると聞いたのだ。他人には知られたくない、お前が訪ねなさい。母には、まだ申してはならぬ。大騒ぎになって、知られたくない人(匂宮)にまで知られてしまうからな。お前の親のことを思えば不憫だが、お前に行かせるほかないのだ」と、大将殿(薫)は出す前に強く口固めしました、幼いながらも、姉弟が多くいる中にあって、この君(小君)の顔かたちは、ほかに似る者がないほど美しく浮舟のこともはっきり覚えていたので、亡くなったと聞いて、とても悲しく思っていました、大将殿(薫)から生きていると聞いて、うれしくて涙が落ちるのが、恥ずかしくて、「はい、分かりました」とわざと大声で元気に答えました。
(続く)