この子も、さは聞きつれど、幼ければ、ふと言ひ寄らむも慎ましけれど、「また侍る御文、いかで奉らむ。僧都の御導は、確かなるを、かくおぼつかなく侍るこそ」と、伏目にて言へば、「そそや。あな、美し」など言ひて、「御文御覧ずべき人は、ここに物せさせ給ふめり。見証の人なむ、いかなることにかと、心得難く侍るを、なほのたまはせよ。幼き御ほどなれど、かかる御導に頼み聞こえ給ふやうもあらむ」など言へど、「思し隔てて、おぼおぼしくもてなさせ給ふには、何事をか聞こえ侍らむ。疎く思しなりにければ、聞こゆべきことも侍らず。ただ、この御文を、人伝てならで奉れ、とて侍りつる、いかで奉らむ」と言へば、「いと理なり。なほ、いとかくうたてなおはせそ。さすがにむくつけき御心にこそ」と聞こえ動かして、几帳のもとに押し寄せ奉りたれば、あれにもあらで居給へる気配、異人には似ぬ心地すれば、そこもとに寄りて奉りつ。
この子(小君)も、話を聞いていましたが、子どもでしたので、とっさに言葉をかけることはできませんでした、「もう一通文がございます、ぜひとも差し上げたいのです。僧都が申されたことは、確かなことですのに、どうしてはっきりと申されません」と、恥ずかしげに言うと、尼君は「そうそう、とても、美しいお方のことですね」などと申しながら、「文をご覧になられるお方は、ここにおられますよ。まわりの者は、どういうことか、事情を飲み込めないのです、おっしゃりたいことを申してください。幼いけれども、このお使いを頼むだけのことはございます」などと言いました、小君は「他人行儀で、確かなことも申されない方には、何も申すことはありません。他人と思っておられるのならば、話すことはありません。ただ、この文を、人伝てでなく差し上げてください、と申しておりました、ですからどうしても差し上げたいのです」と言うと、尼君は「あの子の申す通りですよ。そう、よそよそしくなさいますな。意地悪していると思われますよ」と諭して、几帳([間仕切りや目隠しに使う屏障具])のもとに文を押し寄せました、今までと違ってその気配は、まるで他人とは思えませんでしたので、尼君は文を几帳に近付いて文を差し入れました。
(続く)