これより後はいよいよ合戦を止めける間、諸国の軍勢ただ徒らに城を守り上げて居たる計りにて、するわざ一つもなかりけり。ここにいかなる者か詠みたりけん、一首の古歌を翻案して、大将の陣の前にぞ立てたりける。
余所にのみ 見てややみなん 葛城の たかまの山の 峯の楠
軍もなくてそぞろに向かひ居たるつれづれに、諸大将の陣々に、
江口・
神崎の傾城どもを呼び寄せて、様々の遊びをぞせられける。
名越遠江の入道と同じき
兵庫の助とは
伯叔甥にておはしけるが、共に一方の大将にて、責め口近く陣を取り、役所を双べてぞおはしける。ある時
遊君の前にて
双六を打たれけるが、
賽の目を論じていささかの
詞の違ひけるにや、伯叔甥
二人突き違へてぞ死なれける。両人の
郎従ども、何の意趣もなきに、差し違へ差し違へ、
片時が
間に死する者二百余人に及べり。城の
中よりこれを見て、「
十善の君に敵をし奉る天罰に依つて、自滅する人々の有様見よ」とぞ
咲ひける。まことにこれ
直事に非ず。
天魔波旬の
所行かと思えて、浅ましかりし珍事なり。
この後はまったく合戦をしなくなって、諸国の軍勢ただ徒らに城を見上げるばかりで、何もすることはありませんでした。ここにいかなる者が詠んだか、一首の古歌を翻案([原作を生かし,大筋は変えずに改作すること])して、大将の陣の前に立てました。
遠くから見ているばかりではどうにもならぬものを。葛城の高間山(金剛山)の 峯の楠木を。(元歌は、『よそにのみ 見てややみなん 葛城の 高間の山の 峯の白雲』)
軍もなく手持ち無沙汰に集まっては、諸大将の陣々では、江口(現大阪市東淀川区)・神崎(現兵庫県尼崎市)の傾城([美女])どもを呼び寄せて、様々の遊びをしていました。名越遠江入道(北条
宗教)と同じ兵庫助とは伯叔甥でしたが、ともに一方の大将で、攻め口近くに陣を取り、役所([戦陣で、将士が本拠としている所])を並べていました。ある時遊君([遊女])の前で双六を打っていましたが、賽の目をめぐっていささか口論が過ぎたか、伯叔甥二人が刺し違えて死にました。両人の郎従([家来])どもは、何の意趣([恨み])もありませんでしたが、刺し違え刺し違え、片時の間に死ぬ者は二百余人に及びました。城の中よりこれを見て、「十善の君に敵を転覆させようとする天罰に依って、自滅する人々の有様を見よ」と言って笑いました。まことにこれただ事ではありませんでした。天魔波旬([天魔と波旬。人の善事を行うのを妨げる悪魔])の所行かと思われて、見るに堪えない珍事でした。
(続く)