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「太平記」摩耶合戦の事付酒部瀬河合戦の事(その2)

この山へ上るに、七曲ななまがりとてけはしく細き路あり。この所に至つて、寄せ手少し上り兼ねて支へたりけるところを、赤松律師則祐そくいう飽間あくま九郎左衛門くらうざゑもんじよう光泰みつやす二人ににん南の尾崎をさきへ下り降つて、矢種を不惜散々に射ける間、寄せ手少し射しらまかされて、互ひに人を楯に成してその陰に隠れんと色めきける気色を見て、赤松入道子息信濃のかみ範資のりすけ・筑前の守貞範さだのり佐用さよ上月かうつき・小寺・頓宮とんぐうの一党五百余人、切つ先を並べて大山のくづるるが如く、二つのより打つて出でたりける間、寄せ手跡より引き立つて、「返せ」と云ひけれども、耳にも不聞入、我先にと引きけり。その道あるひは深田ふけだにして馬のひづめ膝を過ぎ、あるひは荊棘けいぎよく生ひ繁つて行くさきいよいよせばければ、返さんとするも不叶、防がんとするも便りなし。されば城の麓より、武庫河むこがはの西のはたまで道三里が間、人馬いやがうへに重なり死して行人かうじん路を去り敢へず。




この山(摩耶山)に上るには、七曲という険しく細い道を通らなくてはなりませんでした。この所に至って、寄せ手は少しばかり上り兼ねて止まっているところに、赤松律師則祐(赤松則祐のりすけ。赤松則村のりむらの子)・飽間九郎左衛門尉光泰(飽間光泰)二人は南の尾崎([平野に入り込んだ山すその先端])に下り降って、矢種を惜しまず散々に矢を射けたので、寄せ手は少し立ちろいで、互いに人を楯にしてその陰に隠ようとあわてふためく様子を見て、赤松入道(赤松則村)の子息信濃守範資(赤松範資)・筑前守貞範(赤松貞範)・佐用・上月・小寺・頓宮の一党五百余人が、切っ先を並べて大山が崩れるように、二つの尾より打って出ました、寄せ手は後ろより引き退き、「返せ」と言いましたが、耳にも聞き入れないうちに、我先にと引きけ退きました。道はあるいは深田で馬の蹄は膝を過ぎ、あるいは荊棘([イバラ])が生い繁って行く前はますます狭かったので、引き返すこともできず、防ぐ場所もありませんでした。こうして城の麓より、武庫川の西の端まで道三里の間に、人馬はいやが上に重なり死んで行人([道行く人])が戻ることはありませんでした。


続く


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by santalab | 2016-04-21 07:27 | 太平記 | Comments(0)

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