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「太平記」摩耶合戦の事付酒部瀬河合戦の事(その4)

三月十日六波羅勢、既に瀬河せがはに着きぬと聞こへければ、合戦は明日にてぞあらんずらんとて、赤松少し油断して、一村雨の過ぎけるほど物の具の露を干さんと、わづかなる在家にこみ入つて、雨の晴れ間を待ちけるところに、尼崎より船を留めて上がりける阿波あは小笠原をがさはら、三千余騎にて押し寄せたり。赤松わづかに五十ごじふ余騎にて大勢おほぜいの中へ懸け入り、面も不振戦ひけるが、大敵凌ぐに叶はねば、四十七騎は被討て、父子六騎にこそ成りにけれ。六騎のつはものしるしをかなぐり捨てて、大勢の中へさつと交はりて懸け回りける間、敵これを知らでやありけん、また天運の助けにや懸かりけん、いづれも無恙して、御方の勢の小屋野こやのの宿の西に、三千余騎にて引かへたるその中へ馳せ入つて、虎口に死を遁れけり。六波羅勢は昨日の軍に敵の勇鋭を見るに、小勢なりといへども、欺き難しと思ひければ、瀬河せがはの宿に控へて進み得ず。




三月十日に六波羅勢が、すでに瀬川(現大阪府箕面市)に着いたと聞こえたので、合戦は明日であろうと、赤松(赤松則村のりむら)は少し油断して、村雨が降る間に物の具([武具])の露を干そうと、わずかにあった在家にこみ入って、雨の晴れ間を待つところに、尼崎(現兵庫県尼崎市)より船を留めて陸に上がった阿波の小笠原(阿波小笠原氏)が、三千余騎で押し寄せました。赤松(則村)はわずか五十余騎で大勢の中に駆け入ると、面も振らず戦いましたが、大敵を凌ぐことはできずに、四十七騎が討たれて、父子六騎になりました。六騎の兵は皆旗印をかなぐり捨てて、大勢の中へささっと紛れ入って駆け回ったので、敵はこれに気付かなかったか、また天運の助けがあったか、いずれも無事に、味方の勢の小屋野宿(昆陽野。現兵庫県伊丹市)の西に、三千余騎で控えているその中へ馳せ入って、虎口に死を遁れました。六波羅勢は昨日の軍に敵の勇鋭を見て、小勢とはいえ、容易く勝てる相手ではないと思い、瀬川宿に控えて攻めようとはしませんでした。


続く


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by santalab | 2016-04-23 08:32 | 太平記 | Comments(0)

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