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「太平記」摩耶合戦の事付酒部瀬河合戦の事(その5)

赤松はまた敗軍の士卒を集め、後れたる勢を待ち揃へん為に不懸、互ひに陣を阻てて未だ雌雄を決せず。丁壮ていさうそぞろに軍旅に疲れなば、敵に気を被奪べしとて、同じき十一日赤松三千余騎にて、敵の陣へ押し寄せて、先づ事のていを伺ひ見るに、瀬河せがはの宿の東西に、家々の旗二三百流れ、梢の風に翻へして、その勢二三万騎にさんまんぎもあらんと見へたり。御方をこれに合はせば、百にしてその一二をも可比とは見へねども、戦はで可勝道なければ、偏へにただ討ち死にと心ざして、筑前のかみ貞範さだのり佐用さよ兵庫ひやうごの助範家のりいへ・宇野の能登の守国頼くにより・中山の五郎左衛門ごらうざゑもんじよう光能みつよし飽間あくま九郎左衛門くらうざゑもんの尉光泰みつやす郎等らうどう共に七騎にて、竹の陰より南の山へ打ちがつて進み出でたり。




赤松(赤松則村のりむら)は再び敗軍の士卒を集め、後ろの勢を待ち揃えるために駆けて出ず、互いに陣を阻てて雌雄を決しませんでした。丁壮([働き盛りの男性])はこのまま留まって軍旅に疲れてしまえば、敵の思う壺よと思い、同じ十一日に赤松は三千余騎で、敵の陣へ押し寄せて、軍の陣を見れば、瀬川宿の東西に、家々の旗が二三百流れ、梢の風に翻えり、その勢は二三万騎もあるように思えました。味方がこれと戦えば、百のその一二にも及ばないように見えましたが、戦わず勝つ道はありませんでしたので、一心にただ討ち死にしようと心ざして、筑前守貞範(赤松貞範さだのり。赤松則村の子)・佐用兵庫助範家(佐用範家のりいへ)・宇野能登守国頼(宇野国頼)・中山五郎左衛門尉光能(中山光能)・飽間九郎左衛門尉光泰(飽間光泰)、郎等([家来])とともにに七騎で、竹の陰より南の山に打ち上がって進み出ました。


続く


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by santalab | 2016-04-24 08:49 | 太平記 | Comments(0)

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