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「太平記」摩耶合戦の事付酒部瀬河合戦の事(その7)

赤松は手負ひ・生け捕りの首三百余、宿の河原しゆくのかはらに切り懸けさせて、また摩耶のじやうへ引つ返さんとしけるを、円心ゑんしんが子息そつの律師則祐そくいう、進み出でてまうしけるは、「軍の利は勝つに乗つて逃ぐるを追ふに不如。今度寄せ手の名字みやうじを聞くに、京都の勢数を尽くして向かつて候ふなる。この勢ども今四五日は、長途ちやうどの負け軍にくたびれて、人馬ともに物の用に不可立。臆病神おくびやうがみの覚めぬさきに続ひて責むる物ならば、などか六波羅を一戦のうちに責め落とさでは候ふべき。これ太公が兵書ひやうしよに出でて、子房しばうが心底に秘せしところにて候はずや」と云ひければ、諸人皆この義に同じて、その夜やがて宿の川原かはらを立つて、路次ろしの在家に火を懸け、その光を手松たいまつにして、逃ぐる敵に追つすがうて責め上りけり。




赤松(赤松則村のりむら)は手負い・生け捕りの首三百余を、宿の河原に切り懸けさせて、また摩耶城に引き返そうとするところに、円心(則村)の子息帥律師則祐(赤松則祐のりすけ)が、進み出て申すには、「軍に勝利するには勝つに乗って逃げる敵を追うことに尽きます。今度の寄せ手の名字を聞くに、京都の勢は数を尽くして向かったと思われます。この勢ども今四五日は、長途の負け軍にくたびれて、人馬ともに物の用にも立たないでしょう。臆病神が覚めぬ前に続いて攻めれば、どうして六波羅を一戦のうちに攻め落とせないとこがございましょう。これ太公(太公望)の兵書に書き、子房(張良。秦末期から前漢初期の政治家・軍師)が心底に秘したところではございませんか」と申したので、諸人は皆この義に同じて、その夜たちまち宿の川原を立って、路次の在家に火を懸け、その光を松明にして、逃げる敵を追いかけて京へ攻め上りました。


続く


by santalab | 2016-04-27 07:30 | 太平記

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