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「太平記」三月十二日合戦の事(その4)

父の入道遥かに見て馬を打ち寄せ、面に塞がつて制しけるは、「昔佐々木の三郎が藤戸ふぢとを渡し、足利又太郎が宇治川うぢがはを渡したるは、兼ねて澪標みほじるしを立てて、案内を見置き、敵の無勢ぶせいを目に懸けて先をば懸けしものなり。河上かはかみの雪消え水増さりて、淵瀬も見へぬ大河を、かつて案内も知らずして渡さば可被渡か。たとひ馬強くして渡る事を得たりとも、あの大勢おほぜいの中へただ一騎懸け入りたらんは、不被討と云ふ事可不有。天下の安危必ずしもこの一戦に不可限。暫く命をまつたうして君の御代ごよを待たんと思ふ心のなきか」と、再三強ひて止めければ、則祐そくいう馬を立てなほし、抜いたる太刀ををさめてまうしけるは、「御方と敵と可対揚程の勢にてだに候はば、我と手を不砕とも、運を合戦の勝負に任せて見候ふべきを、御方はわづかに三千余騎、敵はこれに百倍せり。急に戦ひを不決して、敵に無勢ぶせいのほどを被見透なば、雖戦不可有利。されば太公が兵道へいだうことばに、「兵勝之術密察敵人之機、而速乗其利疾撃其不意」と云へり、これ以吾困兵敗敵強陣はかりごとにて候はぬや」と云ひ捨てて、駿馬しゆんめに鞭を進め、みなぎつて流るる瀬枕に、逆波さかなみを立ててぞ泳がせける。




父の入道(赤松則村のりむら)は遥かに見て馬を打ち寄せ、前に塞がって制して、「昔佐々木三郎(佐々木盛綱もりつな)が藤戸(現岡山県倉敷市)を渡り、足利又太郎(足利忠綱ただつな)が宇治川を渡ったのは、予ねて澪標([杭])を立て、案内を用意し、敵が無勢であるのを見て先駆けしたのだ。川上の雪は消えて水は増さり、淵瀬も見えぬ大河を、案内も知らずに渡れるものか。たとえ馬が強く渡ることができたとしても、あの大勢の中へただ一騎駆け入れば、討たれぬことはあるまい。天下の安危は必ずしもこの一戦に限るものではない。しばらく命を全うし君(第九十六代後醍醐天皇)の御代を待とうとは思わぬか」と、再三強いて止めると、則祐(赤松則祐のりすけ)は馬を立て直し、抜いた太刀を収めて申すには、「味方と敵の勢が対等のほどならば、我が手を下さぬとも、運を合戦の勝負に任せて見ようと思いますが、味方はわずかに三千余騎、敵はこの百倍はいるでしょう。急ぎ戦いを決せず、敵に無勢のほどを見透かされれば戦えども勝つことはできません。太公の兵道(『六韜』)の詞に、「軍に勝つ術は密かに敵人の機を窺い、不意を突いて速やかに勝つに乗ることである」とあります、これこそ無勢を以って強敵を破る方法ではありませんか」と言い捨てて、駿馬に鞭を打ち、みなぎり流れる瀬枕に、逆波を立てて馬を泳がせました。


続く


by santalab | 2016-04-30 08:19 | 太平記

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